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Keep My Word

19歳から旅を始めて、スコットランドで英語を学び、アルゼンチンでスペイン語とタンゴを学び、メキシコではサルサをかじり、オンライン英会話/スペイン語スクールを運営している男のブログです。海外滞在歴10年、50カ国ほどぶらぶらしました。

タンゴによるヨーロッパの国別の傾向とタンゴの歴史について:ルーマニア編

ルーマニア人と会ったことあるだろうか? ルーマニアの人口は2000万人で、日本にいるルーマニア人は2500人ほどだ。この数字だけ考えてもルーマニア人と知り合う確率は一般的に考えてみても、そう高くはない。

ブエノスアイレスに滞在したときに、続けざまにルーマニア人とミロンガで知り合ったことがある。ブエノスアイレスには多くの国から外国人が押し寄せているが、ヨーロッパからはたいていイタリア人、ドイツ人、フランス人などが比較的多く来るが、ルーマニア人は珍しかった。だからこそ、頭の片隅に「次、行く国のリスト」にしっかりとルーマニアは刻まれた。ルーマニアとタンゴ、なんだかエチゾチックな組み合わせだ。

11月にヨーロッパに行くと決めたときに、まずはどこの国からに行くのか正直迷った。そんなときに東京のタンゴのワークショップでルーマニア人のマリアと知り合った。冗談めかして「近いうちにルーマニアに行くよ」と言ったが、まさかその数週間後に本当にルーマニアに行くことになるとは思っていなかった。

ワンズワードコネクトのためになるべく多くのヨーロッパ在住日本語通訳の方々と会いたかった。だから結局、かなり無理な日程となり、ルーマニアの首都ブカレストには1日しか滞在できなかったのは残念だ。

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2、3日滞在する価値のある街だと思ったし、本当ならそうしたかったが、一応仕事のために来ているという大義名分があるので、先を急いだ。マリアには事前にメシでも食ってそれからミロンガに行こうと約束していた。

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ホテル近くのなんだか小洒落たレストランで肉を食って、Uberでタクシーを呼んでミロンガへと向かった。Uberがルーマニアでも使えるとは知らなかったので少し驚きだった。

ルーマニアは東欧のラテンと言われている。 タンゴはアルゼンチンで元々、売春宿でオトコ同士で踊られて、それがヨーロッパに持ち込まれて大流行し、アルゼンチンに逆輸入された歴史がある。 タンゴ豆知識Clichés about Tango Origins of the Dance によると、当時は女性が圧倒的に少なかったので女性の気を引くために、みんなこぞって踊りを磨いて、実際に女性と踊った時に「ステキな人!」と思われるために男同士で練習したとのことだ。レコードすらなかった当時はライブ演奏が唯一の音楽だったので、ライブバンドが演奏をしていた売春宿は男にとっては格好の練習場だった。一般的に売春婦相手に男が踊っていたと言われていたが、稼ぎどきにわざわざ売春婦が金にならないダンスの相手をしていたとは考えにくい。よって、売春婦の順番待ちをしているあいだ、手持ち無沙汰の男たちがこぞって技を磨くために、お互い誘い合って踊っていたのではないかということだ。

ということで野郎ども!自己満足のステップだけのタンゴはやめて、女性を喜ばせるために踊りましょう!

ルーマニア人とのタンゴは楽しかった。やはり彼らはラテンだ。踊りもコミュニケーションの一つだと思うし、特にタンゴでは踊りによる「会話」が重要だ。アルゼンチンでタンゴを習い始めた頃、よく先生に「初めての人と踊る時は絶対に最初は簡単なステップから始めないといけない」と口を酸っぱくして言われた。

あなたはどんな方ですか?」と最初の数ステップで聞いてから、相手のレベルや嗜好に合わせて踊れということだろう。

ルーマニア人女性の大半は、こっちが色々とリズムを変えたりステップかましたりしても、ノリノリで楽しそうに付いてきてくれるのでこちらも楽しかった。タンゴにはそもそも堅苦しいルールなんてなく、売春婦とヤるために順番を待っている間に男同士で踊りを磨きあって発展した踊りなのだ。気取ってもしょうがないし、「楽しければいい」と思う。

ブカレストの夜は心地よく更けていき、結局ミロンガが終わるまで居て、またUberを呼んでホテルへと帰った。マリアにお礼を言って、またどこか世界のミロンガで会おうと約束した。(日本に帰国してからお礼のメールをしたら、「あなたが今度ブカレストに来る時には、あなたが踊った人とみんなでウェルカムミロンガをしてあげる」と返事が来た・・・・本当か嘘か疑問だけど、またこれで一つ楽しみが増えたことだけは確かだ)

自分のなかでいい街の定義は「また来たい」と思うかどうかだが、ブカレストはそういう意味では全くその定義に合う街であることだけは確かだ。

サイコパスという劇薬:トランプによるアメリカについて

アメリカ人の友人とよく「トランプが大統領になったら、アメリカはもうおしまいだよな。まあ、それはさすがにないだろうけど」と言っていたのが1年ほど前だが、そのまさかが現実となってしまった。

トランプとヒラリーとどっちか選べと言われたら、正直自分でも迷う。

年齢だけ見ても、70歳と69歳。

自分の両親と同じ世代で、メールの添付ファイルの貼り方すらおぼつかない母親を見ているので、そんな世代の人たちに超大国のトップが務まるのかと思う。(もちろん、情報公開を恐れて、特注の私用メールサーバーを使用していたヒラリーにとってみれば、添付ファイルを送ることなんて造作もないことだけど)

また去年まで住んでいたメキシコに対して思い入れがあるので、個人的に気になるのは北米自由貿易協定(NAFTA)の行方だ。

3年ほど前までは、メキシコには200社程しか日系企業は進出していなかったが、今は1000社を超える。その多くが日産をはじめとする自動車メーカーだ。トヨタも2019年より工場の建設を予定しているが、北米自由貿易協定が見直されることになると、メキシコに工場を建設するメリットがなくなる可能性も否めない。

アメリカの法人税率がトランプの公約通り15%まで引き下げられたら、メキシコに工場を作るより、アメリカ国内に工場を作ったほうが理にかなう。ましてや、万里の長城をメキシコとアメリカの国境に作るのであれば、なおさらメキシコに投資する必要はないだろう。

トランプが勝利をした要因は、工場などが多いアメリカ中西部の中低所得者の票によると言われている。だから、トランプは彼らを喜ばせるために、工場建設を強引に推し進める可能性がある。(ただトランプは日系企業批判を大々的にしているので、積極的に外国企業誘致をするとは思えないが)

トランプのゴーストライター、良心の告白

ニューヨーカーに掲載されたこの記事を読む限り、トランプに率いられることになったアメリカに不安しか感じない。

もしいま、トランプ自伝を書くとしたら、内容もタイトルもまったく違う本になるだろうと、シュウォルツは言う。どんなタイトルになるかという問いに、シュウォルツはこう答えた。『Sociopath』(社会病質者の意)だ

社会病質者をトップに選んだアメリカ国民。 ただ企業のトップにサイコパスが多いことは周知の事実だ。

「経営者には“サイコパス”が多い」不都合な真実

「攻撃的」「平然と嘘をつく」「道徳心が欠如」「他人に共感しない」「他人を操る」というサイコパスの特徴にトランプは当てはまっており、紛れもないサイコパスではある。それが吉と出るか凶と出るかは、今後の4年間にかかっており、クリントン元大統領もサイコパスの要素が顕著だったということを考えると、アメリカ経済は活況に湧く可能性も否定できない。

アメリカ国民は現状維持よりも、サイコパスによる劇的な変化を選んだのであり、それを今後は世界中が戦々恐々としながら見守ることになる。

4年後に笑うのは自国経済の活況に湧くアメリカ国民か、アメリカの凋落を見る世界中の人々か・・・・

ただ一つ言えることは、アメリカがどうであれ、世界の経済がどんな状態であれ、トランプだけは笑っているのだろう。彼は結局のところサイコパスなのであり自分さえよければ、それでいいのだから。

海外在住の日本語通訳と日系企業のマッチングサイト・ワンズワードコネクトの通訳登録者が100名超えました。

世界中に散らばっている日本語通訳者だが、開業以来、どうにか彼らとコンタクトをして、ついに登録者が100名を超えた。

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サイトを開設したときは、当然登録者はゼロなわけで、ついでに言うと全くツテもなく、「どのように彼らを見つけるか」ということについてもアイディアはなかった。

ただなんとくなく、どうにかなるだろうとは思っていたし、実際半年あまり経って、100名は集まった。もちろん、もっと多くの通訳者の方に登録してもらう必要があるが、それよりも雇ってもらうクライアントにとって、「彼らが果たして有用な通訳か」をなんらかの方法で証明する必要がある。

そのために来週から、ヨーロッパに行き、実際登録してもらった通訳者の方々と会うつもりだ。 11月15日からルーマニアに入り、27日にマドリッドから日本行きのフライトを予約している。

ほとんどの国で一泊二日の強行日程だが、別に観光を目的としているわけではないので、それで十分だと思っている。こちらから連絡をして、アポイントメントを取れない人たちも多くいるし、なかには返信すらしない通訳の方もいる。返信がない人に関しては、最後通告をしてから、登録を抹消するつもりだ。

ヨーロッパで登録した人たちに会ったのち、ある程度手応えを得れば、それを今度はアジア、アメリカなどに広げて、基本的には登録者全員と会いたいと思っている。

このネットの世界では、「どのように質を担保するか」はとても重要な課題だが、結局はこのようなアナログな方法が一番いいのではと思っている。

もし、自分自身が通訳を探している企業側の担当であれば、「社長自ら登録している通訳の方と会って直接面接しているマッチングサイト」とただ登録している通訳がたくさんいるサイトだったら、当然前者から通訳を探そうと思うだろう。

結局、仕事でもプライベートでも重要なのは、「当たり前のことを当たり前のようにやること」であり、それをショートカットしようとするから上手くいかなくなるのだろう。急がば回れということだ。

ただ、こんな思いつきにしか過ぎなかったアイディアだったが、それを元にサイトをいちから制作して、それに共鳴して世界中から100名以上の通訳の方々から登録があったことは素直に嬉しい。

多くの人たちは、遠くばかりを見て、夢や目標を諦める。 でも、きっと大事なのは、今できることをひとつづつこなしていくことではないのだろうか?

究極の外国語学習方法について

誰でもスポーツや音楽に夢中になった記憶はあると思う。

テニス、ゴルフ、野球、サッカー、それにピアノやギターを習ってうまくなりたいと思ったことは一度くらいはあるのではないだろうか?

そのときの記憶をたどりながら、「どうやったら上手くなるか」を考えたときの答えとして、次のうちあなたならどれが正解だと答えるだろうか?

1. 30万円払って、「◯◯を簡単にマスターする方法」を購入する。

  1. 「寝ながら◯◯をマスター!」という睡眠学習法のプログラムを購入する。

  2. 毎日練習する

  3. 週1回決められた時間だけ練習する。

答えはカンタン。 当然ながら、毎日練習するしかない。

これを外国語学習に置き換えてみよう。

なぜか、外国語学習では30万円払ったり、睡眠学習法にはまったり、ぼーと週1回のレッスンを受けるだけで上達できると思っている人たちが多すぎる。

あほなのだろうか・・・・いや、そんなことはないはずだ。なんらかのスポーツや音楽をマスターしようと思ったときに、こんな馬鹿な方法でマスターしようと思う人は一人もいないはず。

だったら、なぜ同じ思考が「外国語学習(英語、スペイン語あるいはその他)」に向けられないのだろうか?

1. 究極の外国語学習方法を教えます! この「究極とも言える外国語学習方法」を編み出すのに苦節30年・・・・いや、もう50年はかかっただろうか。(まあ、50年もまだ生きていないけど)

せっかくこのコラムをお読みいただいた方にだけ、30万円も払わず、こっそりと無料でここだけでお教えしたい。

それは・・・・・・ 「できるだけ短期間のあいだに、毎日長時間勉強する」ことだ。

返品もクレームも受け付けないし、「そんなこと知っているよ、バーカ!」という罵詈雑言も勘弁してほしい。高校球児やサッカー小僧だった人たちはみんな体験的に知っているだろう。また僕のように東大を目指して受験勉強に明け暮れた高校生だった人たちも当然わかっているはずだ。(嘘)

何も「青春時代よ、もう一度!」とか寝ぼけたことを言っているわけではない。

あの頃のエネルギーをもう一度、スペイン語なり英語なりにぶつければいいだけだ。

天才とは、圧倒的な熱量をなにか一つのことに捧げることができるものだ」と誰かが言っていたが、なにかに夢中になるのに遅すぎることはない。

フィリピンやタイにいけば、若い女に目が眩んだ日本人や西欧人のじいちゃんたちが腐るほどいるし、韓流をはじめとしたイケメンにトチ狂うオバさんは後を絶たない。

そんな非生産的なものに貴重な時間と熱量を費やすのであれば、それをそのまま外国語学習にぶつければいい。

2. モチベーションの仕組みについて

できるだけ短期間のあいだに、毎日長時間勉強する」以外に究極の学習法はない。べつにこれは外国語学習に限ったことではなく、スポーツや音楽を上達したいと思ったときでも当てはまることだ。

プロフェッショナルとは、そうやって身につけた技術にさらに磨きをかけて、その技術をプレッシャーのかかる試合、あるいは本番で発揮できるメンタルを身につけたもののことを言うのだろう。

そして、「才能を持つもの」とはその人が生まれ持った能力を指すのではなく、それだけの時間と努力を費やすことができる人たちのことを言うのだと思う。

そのためには「モチベーションを保つ」ことが必須だが、これが確かに非常に難しい。特にこの豊かな国である日本に生まれ育った人たちが、何かにハングリーになるのは不自然なことだろう。

生まれも育ちも貧乏だったり、なんらかのコンプレックスを抱えているのであれば、それを糧に頑張ればいい。内的な欲求があればいいが、そんなものを持ち合わせているのは稀であり、大抵の人はうっかり生まれてうっかり死んでいく。

3. 結論

語学的な才能がないことよりも、本来問題にすべきなのは、「外国語習得にかける時間がない」ことが問題であり、外国語習得においてはそれ以外障壁になるようなことはない。

それは結局、人生のプライオリティーの問題で、なにに時間をかけるか、なにをして生きていたいかなどというややこしい問題と密接に関連しているのだろう。

モチベーションをどのように保つか」および「国語学習にかける時間がない」という問題は、非常に個人的な問題であり、一般化はできないので、それはもう各自に解決してもらうしかない。

ひとつだけ言えることは、「やるなら徹底的にやる」ことが人生では肝要であり、そのほうが中途半端にやるよりは見返りが大きいということだけだ。

では、よい週末をお過ごし下さい。

起業と中退について:失敗するのは早ければ早いほどいいというだけの話し

若者が大学を辞めて起業するという、まあ非常に健全な感じの意思表明がなんだか炎上しているらしいので覗いてみた。

4ヶ月で大学を中退し起業します。レールに沿ったつまらない人生はもう嫌だ。

考えてみると、自分も中退して19歳で留学したアウトロー組なので、気持ちがよく分かります。

「ブログで月商100万稼げる?大学生で100万稼いでいたらすごくないか?」 これなら自分にもできそうだと思いました。

いやー、いいなと思います。 この「自分でもできそう」だと思うのは、若いころはとても重要かと。おっさんやおばさんになったら、もうそんなこと思わなくなりますからね。

大学中退でアフィリエイト月商100万円の世界はコレだ!

そしてまた的を得た指摘がネット界隈から飛び出し、身も蓋もない話になっています。

大学に行くに越したことはない:より多くの選択肢を持つために

自分のことは棚にあげて、以前上記エントリーを書いたが、基本その思いは変わっていない。ただ、リスク覚悟で大学を中退して起業するのはいいことだとは思う。18歳で起業して失敗しても勲章にしかならないが、30、40歳超えて起業して失敗したら致命傷になりかねない。また18歳で起業に失敗しても大学生に戻ればいいだけの話だけであり、それほど深刻な話ではない。 (ただ闇雲に起業や中退を進めるのはよくないことだと、以前のエントリーでも指摘している)

また万が一成功したら、みっけものだ。 ある意味、このブログがこれだけ読まれたという事実だけとっても、もう十分成功していると言えるのではないだろうか。

人生やりたいことがあるだけでも素晴らしいことだし、「できる」と思えることは若さの特権だとは思う。それに人生なにがあるかわからないし、何もしないよりは何かしたほうが成功する確率は高くなる。

この強烈な同調圧力のある日本社会で、人と違うことをやろうとするのは、それなりに大変なことだ。18歳の若者が大学を中退して起業しようとしていることだけで、これほどまでに話題になること自体が異常だと思う。

起業しても1年以内に倒産する確率は約50%と言われているが、確率の話を若者にしても仕方がない。アイドルを夢見る少女に、アイドルになれる確率を諭しても同じように、それはとても意味がないことだ。彼らは自分たちが唯一無二の存在だと信じているから、「一般論」に興味はない。

逆説的だが、「失敗すればするほど、成功する確率はあがる」のだが、日本の社会は「失敗したものたち」に対してとても厳しい。これから、大学よりも起業を選択したり、ほかの選択肢を見つける人たちが出てくると思うが、周囲の大人たちが彼らを受け入れて、失敗したとしてもダメージが少なくなるように導いていく必要がある。

自分も含めたおっさん、おばさんたちがもっと彼らを暖かい目で見ることが、必要なのではないだろうか。

今さら大傑作映画「6才のボクが、大人になるまで」を批評してみた

機内で見る映画というのは、微妙な立ち位置にある。 だいたいの場合、ビールやワインを飲みながら、また窮屈な体勢で見ることになるので、それほどシリアスな映画を見ることはない。

だから、多くの場合マーベリックヒーローもの、やれバットマンvsスーパーマン、アイアンマン、X-menシリーズに落ち着く場合が多い。最近はアイアンマンやキャプテンアメリカ、それにスパイダーマンまでが同じ映画に登場するので、正直なにがなんだか分からなくなってきているが、ストーリーなんてあってないものなので、別に気にならない。

でも、時々そんなものに見飽きて、違うテイストの映画を見ることがある。 そうして、見た映画が「6才のボクが、大人になるまで」だった。

あれは、日本からトルコ経由でアルゼンチンへと向かう機内のなかだったので、きっとインドあたりを飛行中に見た映画だったような気がする。この映画が12年の歳月をかけて一人の少年を撮った映画だということは知っていたし、「恋人までの距離」でいちやく「インディペンデント映画の帝王」に躍り出たリチャード・リンクレイターを知らない映画好きはいない。

スコットランド留学時代に、フランス人の女の子が「私が一番好きな映画は、恋人までの距離」と言っていたが、そのときこの子とは仲良くなれないと思ってしまった記憶がある。正直、それほど好きな映画でもなかったし、好きな監督でもなかった。

だから期待値はとても低かった。 それがビールを飲みながら気軽な感じで映画を見始めたが、どんどんと引き込まれて、映画が終わる頃には「もっとこの時間が続いて欲しい」とすら思った。

そして、映画のラストシーンでは、この映画を集約するようなセリフを主人公が言って、本当に美しくこの一大叙情詩が幕を閉じた。映画の上映時間が2時間46分と通常よりも多いとあとから知ったが、なんなら3時間でも4時間でもずっとこの少年の成長を見続けていたいとすら思った。

この10年、20年で見た映画のなかでもベストのひとつと言える。 「アメリカン・ビューティー」「オールド・ボーイ」「HANA-BI」「萌の朱雀」「幻の光」「太陽に灼かれて」と今でもすぐに思い出せる名作の数々に匹敵するくらいの感動を覚えた。

Boyhood, review: 'the achievement of a lifetime'

当然、海外でも絶賛されており、「リチャード・リンクレイターはこの映画を作るのに12年の歳月をかけたが、我々はこの映画をあと12年かけてじっくり楽しむだろう」と評されている。

同じ思春期の少年を扱った傑作映画「少年は残酷な弓を射る」があるが、それとは対照的にこの映画は静かな明るい余韻を残してくれる。

この映画は万人に薦められる傑作映画だと思い、なんとはなしにヤフーの映画レビューを見たが、くそコメントばかりで笑えた。

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世の中には絶対に友達になれない人たちがいるなと強く思った次第だ。