Keep My Word

19歳から旅を始めて、スコットランドで英語を学び、アルゼンチンでスペイン語とタンゴを学び、メキシコではサルサをかじり、オンライン英会話/スペイン語スクールを運営している男のブログです。海外滞在歴10年、50カ国ほどぶらぶらしました。

ニーチェとタンゴとブエノスアイレスについて

問うな、ただ踊れ。 

フリードリヒ・ニーチェ

 10代の頃にすっかりニーチェにはまった僕は、ニーチェ哲学の中心を占める「踊り」という概念にも取り憑かれた。

ニーチェはそれまでの既存の哲学を「弱者の戯言」と切り捨てて、ディオニュソス的なものして称された根源的な生命の喜びについて人々に説いた。

 

ニーチェ哲学では、人生を踊りに例えて「踊ること自体には意味などなく、その踊っている瞬間瞬間がどこまでも美しく、その瞬間に没入すること自体が生きる上でもっとも重要なことである」ことが根幹となっている。

法律や常識などは人間同士が共同生活を過ごす上で決めた妥協の産物であり、本来の「人間らしさ」を損なうものであるということがその根底にある考えだ。

一見、アナーキストに見えるが、じつはその逆で自律した人間にならないと、「没入した瞬間」などには到達できず、ニーチェのいう至福の瞬間など訪れない。

 

で、すっかりおっさんになった僕は、今はアルゼンチンタンゴにはまっている。

 

そして、よくアルゼンチン人の先生たちから「日本人はタンゴを踊っていない。男も女もただステップを踏めばいいと思っている。」という愚痴を聞く。

それで、たまに来日する有名な先生などは、「タンゴを踊るとは?」というようなことを長々と説明するのだが、日本人には全く伝わらない。

日本人は良くも悪くも「正しく、きれいな」ものを求める。だから、ステップを正しく、きれいに踊ろうとする。悪くないはない考えだ。

でも、「踊る」とは:

ただ踊ること自体が目的であり、そこに正しいものや間違いなどない。いかに二人で一緒にその瞬間瞬間にに没入できるかが問題なのだ。

だから、ニーチェは人生とは過程であり、ひとつの連なりであると表し、結果を副次的なものと表したのだろう。

本場ブエノスアイレスのミロンガにいるアルゼンチン人男性がニーチェ哲学に感銘を受けてタンゴを踊っているわけでもなく、90%くらいの男はただひたすら「若くて綺麗な女性(できれば巨乳)」と踊りたくて踊っているのは事実だ。

 

でも、男女ともに「正しく、きれいなタンゴを踊る」ことには興味などなく、お互いただ気持ちよく踊りたいとは思っているから、結果的には先生たちが言う「タンゴを踊る」という境地には達している場合が多い。

 

だから、僕の男友達(変態)などは、「タンゴはセックスより気持ちがいい」と言っている。で、それはあながち間違っていないとは思う。

でも、だからと言ってよくタンゴに取り憑かれた人たちが、「タンゴは人生であり、人生はタンゴである」とか格言めいたこと言うけど、それは違うとは思う。(色情狂か!)

じゃあ、礼儀正しい日本人が享楽的なアルゼンチン人のように「気持ち良さ」を求めて、タンゴを踊る日がくるのだろうか・・・・まあ、それもないなとは思う。

でも、日本では快楽を求めること自体を否定しており、だから隠れ変態がたくさんいるというデータもある。(ワンズワード調べ)

ということは、ニーチェがいう「超人」とはもしかしたら、日本的には「変態」ということなのかもしれない。

変態が日本を変える・・・・夢がある話だ。