Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

人生の勝者について

世の中、物事に一生懸命になれるものを見つけたら、それだけで勝者と言える。

 

たいていの場合、中途半端に頑張り、中途半端に就職して、中途半端な恋愛をし、中途半端な失恋などもして、中途半端に人生を終わる。

 

リリー・フランキーも「多くの人が大リーグのような恋愛を求めるが、たいていの場合はウインターリーグのような恋愛で終わる」と言っているし、まあ人生そんなもんだ。

 

だからと言って、自分から努力して何かに向けて一生懸命になれるほどの熱量をたいていの人は持ち合わせていない。

 

別にそれが悪いとは思わないけど、そういう人たちが一生懸命頑張っている人を馬鹿にするのはどうかとは思う。

 

僕が親しくしているアルゼンチン人のタンゴの先生はいつも一生懸命だ。

 

このあいだはタンゴを踊りに来た人にモヒートを振舞うという企画をしたが、それを思いついた理由が近所にミントの葉が自生して、それを使えばいいと思ったらしい。

 

近所に自生しているミントを客に振舞う・・・・・なんだか色々とギリギリな気もするし、アウトのような気もする。参加した友人にこっそりそれを教えたら「だから、あのモヒートはシソの味がしたのか!」と変に納得された。

 

またある日は「すごいことを思いついた。中国、韓国、日本のオーガナイザーと組んで、アジアタンゴフェスティバルをやるんだ!」と目をキラキラさせて言ってきた。

3カ国を移動しなければ参加できないであろう参加者になんのメリットがあるのか何一つ理解できなかったが、本人はとてもわくわくしている。

 

人生、とても楽しそうで何よりだと思う。

 

一生懸命な人は空回りもするし、人に迷惑をかけるだろうが、それでもやはりこういう人たちがいなければ、世の中楽しくはない。

 

考えてみれば、ダンサー、アーティスト、起業家などみんな何かに一生懸命になって、そして彼らは人一番ほかの人に迷惑をかける人たちであるとは思う。

 

でも、彼らは自分の人生にきちんとコミットして、自分の人生なのにまるでその傍観者のような振る舞いをすることもない。

 

時々、親や周囲の人々に迷惑をかけるからという理由で、自分のやりたいことを諦める人がいるが、もったいない話だとは思う。またたぶん、もしかしたらそれは言い訳でそれほどの熱量がないのかもしれないとも思う。

 

ほんと、ニーチェがいうように「問うな、ただ踊れ!」というように、考えるよりも先に行動してしまったほうが人生はより充実したものになるのだろうなと思う今日この頃だ。

 

周りの人は迷惑かも・・・・・・しれませんがね。