Keep My Word

19歳から旅を始めて、スコットランドで英語を学び、アルゼンチンでスペイン語とタンゴを学び、メキシコではサルサをかじり、オンライン英会話/スペイン語スクールを運営している男のブログです。海外滞在歴10年、50カ国ほどぶらぶらしました。

今日とは違う明日を求めて:想像力が欠如したラテンの世界からこんにちは。

ラテンの国に来ると、時々「どうしてこの人たちは自分を疑うということを、ここまでしないのだろうか?」と思うことがある。そして、それが彼らの「幸せであり続けること」の源泉である気がする。

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昨日、メキシコ人の友人アビマエルと二人で、コスメルというプラヤ・デル・カルメンから船で30分のところへ日帰りで行った。とても美しい島で、人も少なく、牧歌的な雰囲気が漂い二人で一台づつスクーターを借りて島を一周した。

途中、カフェやレストランに立ち寄り、シュノーケリングや昼食を取りながら、のんびりと島を回った。コスメルの海にはウニがたくさんいて、アビマエルはウニを食べたことがないというので、その場で取って食べさせようと思い立った。

本来は島の海鮮物を取ったりしたらダメらしいが、そのレストランのオーナーは親切にも人がいないところへ行って、取ればいいと助言をくれて、オリのようなものを渡してくれた。

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無事ウニをゲットして、ナイフで切り裂いて、みんなに分けてあげた。メキシコではウニを食べる習慣がないらしく、みんな戦々恐々としていたが、こわごわと手を出して食べた。「おまえ、よくこんなもん食えるな?」と言われたが、日本では高級食品であることを説明し、またイタリアやチリではみんな食べていると説明すると、なんとなく納得していた。

そして、会計をしようとしてクレジットカードを差し出したが、クレジットカードを読み取る機械がうまく機能していなかった。

明らかに機械の調子が悪かったが、オーナーは「さっきの客では問題なかったから、君のカードの問題だよ。」と言って譲らなかった。別にそれは嫌な感じでもなく、心底そのように思っているようだった。だが、どう考えてもこちらのカードに不備はなく、機械が読み取りにいっていないのは明らかだったが、おとなしく現金で払った。その証拠にそのあとすぐにカードを別のところに使ったが、もちろん問題なく使えた。

人の良さそうなそのオーナーは観光地であるプラヤ・デル・カルメンの倍以上の値付けをしており、食べ物にいたっては3倍以上していた。たぶん、「人がいい」ということと「きっちり観光客からぼる」というのは彼のなかでは見事に両立しており、罪悪感なんて一切感じていないのだろう。

そこによく来る常連のアメリカ人とも気軽に会話したりして、「ここはいつも賑わっていて、常連客がまた違う客を連れて来てくれる」と言っていた。

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嫌いじゃない考え方だ。 彼らはとても欲望に忠実だし、また敬虔なカトリック教徒でもあるので、「善き魂」であることを心がけてもいる。

自分が思いついたことについて検討し批判し、相手の立場になって考えたり、または想像することを全くせずにそれをそのまま素直に信じて、「自己の正しさ」を主張するのは、この残酷な世界を生きていくにはけっして悪いやり方ではない。

経験から学んだり、想像することによって心を痛めたりすることはないかもしれないが、別にそんなことをしても腹の足しにもならないのは事実だ。

でも、きっとラテンの国々がいつまでたっても先進諸国の人たちに駆逐され、搾取され、最終的に彼らのものを根こそぎ奪われているのも、彼らが「自己の正しさ」を正当化し続けているからではないだろうか。

メキシコの漁師と旅行者という寓話があるが、同じように小さな漁村で漁をしながら生活している人たちにも様々なバックグランドがあり、人生経験がある。個人的には結果的にはメキシコの小さな漁村で楽しく歌でも口ずさみながら生活することになっても、それでもやはり世界に出て勝負をして、あらゆることを経験してみたいと思う。

どんな幸せな生活を送っていようとも、現状に満足してしまえば停滞しかない。 現代ではこんなにもたくさんのことが可能になり、一昔前では夢のようなことが今は誰にでもできるようになっている。それをやはり体験しないのは損な気分になってしまう。

ラテンの人たちは確かに幸せそうだし、そこに偽りはないだろう。そして、獰猛な先進諸国の人たちはある意味不幸な人もたくさんいるけど、少なくてもより多くの人生経験を積むことは可能だ。両者には埋めがたい溝があるが、どちらも等分な可能性を秘めており、結局は自分が生まれた環境や文化を乗り越えて、「そとの世界」へと飛び出していける人たちには大きな未来が開いていると思っている。

発展途上国の人たちにとって物理的に「そとの世界」に飛び出すことは難しいかもしれないが、インターネット上では容易にできるし、人の経験を自分のことのように捉えれば、そこから多くのことを学ぶことは可能だろう。

想像力がなければ、どんなに人生経験を積んでもけっして、そこから何も学ぶことは出来ない。 この「想像力が圧倒的に欠如したラテンの世界」で人々が一向に何も学ぶことが出来ないのは、それが原因ではないかと思う。

幸せには色々な定義があるが、自分にとっては「幸せとは、いつも自分を更新している」ことであり、今日とは違う明日を日々更新することだ。

少なくても、「メキシコのちっぽけな島でクレジットカードが使用不可」になったくらいでこんな長々とブログを書くだけの想像力を持ち合わせてはいるので、人生経験を積むことだけはしっかりできてはいる。それをもっと活かして今日とは違う明日を毎日送っていきたい。