Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

空を見ることが好きだった。
小学生の頃、空ばかり見ていて先生によく叱られた。

新鮮味のない授業を聞いているよりは、雲の流れなどを見つめているほうが楽しかった。
きっと変化が欲しかったのだろう。
雲は風で流されるので、それでようやく自分もどうやら前へ進んでいるらしいという気になった。

Morocco, 空

小学校二年生くらいの頃、校庭でみんなが楽しそうに走り回ったり、ドッチボールをしたりするのを見て、「彼らは本当に楽しいのだろうか?」と思ったことがある。
「こんなに毎日毎日同じことを繰り返して、本当に彼らは楽しいのだろうか?」と僕はそのとき心の底から疑問に思ったのだった。

そして次の瞬間、隠さねばならないと感じた。
自分がドッチボールなんてすでに興味を失くし、一緒に走り回ったり、意味のないことで笑ったりすることに本当に飽き飽きしていることを他の子に知られてはいけないと直感した。
そのとき、自分があと四年間も同じような毎日を送らねばらないことを自覚していたのだ。

きっと多かれ少なかれ、みんなうんざりしていたと思う。
変わり映えのしない学校生活に。

日常生活とはそういうものかもしれない。
毎日が冒険であるはずがないのだから、規則正しいルーチーンこそが生活を支えている。
たとえば、毎朝七時に起きたり、犬を散歩させたり、定時に会社に出勤したりすることだ。

そういったことは儀式に似ている。
やらねばいけないことは、やらねばいけない。

しかし、自覚しているだろうか?
もっと豊かな生活があるのかもしれないと。

僕は毎日つまらない授業を聞いたり、楽しくもないドッチボールをしたりはしたが、心の奥底ではもっとましな意義がこの人生にはあると信じた。
だからこそもっと先に進みたいと思い、当時行った自分の判断には従うことはなかった。

そのスタンスは今でも変わらない。
今抱えている悩みなんて、一年後にはどうでもいいことになっていることを知っている。
そして、その証拠に去年何にそんなに悩んだかなんて今となっては思い出せもしない。