今日、久しぶりに荷物を整理した。
生きれば生きるほど、ゴミは溜まる。
人生の総量なんて、ゴミの数で決まるといっても過言ではないのかもしれない。
どうして捨てられないのだろう?
とりあえず取って置こう思ったものなんて、たいてい二度と必要ない。
そのまま放っておくと、いつしか本当に必要なものですら、どうでもいいものに紛れて見失ってしまう。
現実のゴミの問題に話を戻そう。
自分が撮った写真が掲載された雑誌群が大事にとってある。
もちろん、ゴミではないのだが、すでに邪魔になってしまっている。
愛着のあるものもあるが、そういったものの多くはプリントにして取ってある。
なんのために今までこのような大量の雑誌を何年のものあいだ取っていたのだろう?
誰かに見せるためだろうか?
よくは分からないが、惰性なのかもしれない。
しかし、いざ捨てようとなると中々捨てられない。
でも、捨てる決意をした。
ふとこう思ったのだ。
十年後、自分に子供がいると仮定したとき、果たして自分の仕事だと言って
それらの雑誌を見せることができるだろうかと。
ひとの価値というものはそうことで決まるのかもしれない。
自分イコール、といえるようなものを作り上げる必要があるのだ。
もしかしたら、一銭にもならないかもしれないが、そういった価値観で生きていけたらと思う。