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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

芸術起業論

最近、村上隆の「芸術起業論」という本を読んだ。
まわりに村上隆を好きだという人間はいないが、嫌いだといっている人間は山ほどいる。 そんなこともあり、興味があったので、六本木ヒルズに行ったついでに、彼の本を買った。
六本木ヒルズの本屋で、村上隆の著書を買うのは、ある意味奇遇といえば、奇遇だ)

彼のインテリジェンスにはとかく感心させられた。
確信犯的に、自分のアートを海外に売り込み、それをまた逆輸入する方法は、新しくはないが、それ以外に選択肢がないのが現状だ。

オタク文化を「スーパーフラット」という形に昇華させて、オタク的日本=クールという図式を誰もが考えなかった形で実現したのには、すごいことだと思う。

アート業界に留まらず、音楽や写真や映画の世界において、「新しいもの」は常に求められている。

しかし、日本でいう一般的な「新しいもの」はじつは世界的にはなんら新しいものではない。
それらはすでに海外では当たり前になっていたり、むしろ海外に流行っているものをコピーして、最先端としてきたのがそれまでの風潮だった。

それを村上隆は、オタク文化を「スーパーフラット」という一種の記号化することで、全く新しものへと生まれ変わらせ、最先端のアートだと言い切り、世に広めてしまった。
そのことに彼の偉大さがあると思う。

最近、「新しいもの」とは何かと考える。
もし、本当に村上隆が提唱しているように、オタク文化が「新しいもの」というのならば、世間に出回っている新しいとされている海外の模倣品の数々に、なにか意味があるのだろうか?

少なくてもアニメや漫画は、日本の文化に根付いているが、テレビやラジオから聞こえてくる日本人が歌うラップやヒップホップに日本的な文脈はあるのだろうか?
外人が着て似合う服に、日本人が群がる意味はあるのだろうか?

村上隆が成し得た最大限の功績は、海外における日本のアートを北斎などの浮世絵から、ようやくアップデートしたということだろう。
好きから嫌いか別にして、彼のおかげでようやく日本も「車や電化製品だけではなく、なにか面白いものを発信する国」として認知され始めたのかもしれない。

日本人はとかく日本的なものを軽視しがちだが、本当に新しいものいうものは、自分たちのなかに根付いているものに根付いて生まれるものだ。
それを鮮やかに証明して見せたのが、村上隆なのだろう。

ちなみに5年ほどまえに、知り合いに誘われて、「スーパーフラット展」に行ったことがある。
正直な感想は「こんなんでいいの?」というものだった。
まだまだ勉強が必要だ。