Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

サイモン

今回のロンドン滞在で、10年ぶりにサイモンに会った。
彼とは僕が初めて行ったエディンバラの語学学校以来の仲になるので、正確に言うと12年ぐらいの付き合いがある。

英語が全く話せない頃からの付き合いなので、サイモンは僕に会うたびに「きみの英語は、すべて僕のおかげだ」と冗談めいて言う。
あながち真っ赤な嘘ではなく、彼がいなければ英語もろくに話せないまま、日本に帰国したかもしれない。それくらい、彼に徹底的にマンツーマンで英語を教わった。

映画と音楽の趣味が合ったので、僕は僕なりに築き上げた映画の歴史を彼に教え、サイモンはブリティッシュロックの歴史を教えてくれた。

もちろん、本当はそれほど堅苦しいものではなく、週末などに好きな映画や見たり音楽を聴いたりして語り合うのが常だった。(たとえば「Hunky Dory」や「Transformer」などは好き嫌い別に聴くべきであり、「Sticky Finger」こそがストーンズの最高のアルバムだというようなことを教わった)

僕がエディンバラに行った頃に、ちょうどオアシスがデビューしブリットポップが盛り上がった頃だったので話は尽きなかった。
そして、お互いフランス映画にのめりこみ、とくにエリック・ロメールの映画は一週間ぶっ通しで、毎日見続けたりした。(僕らのお気に入りは「冬物語」という映画で、それがきっかけで一週間も同じ監督の映画を見ることになった)

当然のように、僕らは十年以上も今より若く、前途多難でなにも持っていなかった。
サイモンは僕より8歳ほど年上だが、ヨーロッパに住む人らしく、自由に世界を飛び回りどこかに定住する気なんて毛頭ない人間だった。

それが久しぶりに会ってみると、サイモンは家持ちで僕は妻帯者になっていた。
月日は経つものだ。

サイモンは相変わらずガールフレンドはとっかえひっかえだが、今現在進行中の彼女の話をしたがり、僕はそんな彼の話を聞く役となった。

内心、僕はサイモンのことを「プロフェッショナル・ラバー」と呼んでいたが、彼の前ではそんなことを言うはずもなかった。
彼を知っている人なら、僕がそう思うのも当然だと思うだろう。

そんなこんな出会いだったが、それはそれなりに面白く、充実したときだった。
きっと日本にいたら、彼のような人間と知り合う機会もなかったし、彼ほど熱心に英語を教えてくれる人にも出会えなかっただろう。

僕のなかでは、サイモンはエディンバラ時代の唯一無二の親友であり、かけがえのないときを一緒に過ごした仲間だ。
わかりやすくいうと、高校時代の親友のようなものかもしれない。

子供でもなく、大人にもなりきれない頃。
腐るほど時間が有り余っていたときに、一緒に過ごした戦友だ。
今後、週三回も四回も会って映画や音楽、文学ついて深夜まで討論する友達ができるわけでもないし、それをとくに欲してもいない。

僕らもずいぶん大人になり、今後の人生プランなんぞについて話し合うわけで、挙句の果てには日本とイギリスの住宅ローンなんぞについて熱く語り合うほどになっているわけだ。

それが成熟というものか、大人になるというものかは分からないが、ただひとつ言えることは、僕たちは確実に年を取ったということだ。
僕が彼に再び会って分かったことは、僕たちはあの頃以上の仲にはなれないし、なる必要もないということだろう。

きっと僕らは何年かの周期で会うことになると思うが、それはあくまでお互いのエディンバラ時代への郷愁からかもしれない。
現在進行形の友情ではなく、過去の遺産であるのかもしれない。
そうやって自覚していく過程において、僕たちは大人という生物へと発展していくのだろう。