Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ハーフタイム

ふと気が付くと、ロンドンの場末のクラブで酩酊しながら新年を迎えてから、もう半年が過ぎた。当たり前のことだが、半年とは一年の半分であるわけだ。

サッカーでいうところの前半がもうすでに終わってしまっているわけである。
またサッカーとは違い悠長にハーフタイムなどは取れず、心の準備もできないまま残りの半年に突入していく。

周りの人間も時間が過ぎるのが早いと嘆いているので、全世界的規模で時間が進むのが早くなってしまったのでは思ってしまうが、みなさんそれなりに年相応になってきたので、揃って時間が過ぎるのが早く感じているだけだろう。

半年を総括してみても、特に何も思い浮かばないのはなぜだろう?
せいぜい先週のことぐらいまでは思い出せるが、その先になると記憶がおぼろげだ。
漠然としたかたまりのような記憶が残っている。
昨年はモロッコに行って写真展をしてもっとアクティブな感じだったが、今年はまだ全体として形がぼんやりとしている。

行動することが善とは限らないし、努力はたいていの場合報われないことのほうが多い。
ただ行動しなければ前には進まないし、努力しないと取り残されるだけだ。

朝、テレビを付けると親を殺した少年のニュースや学校の便所で出産した女子高生、あるいは羽賀研二なんぞが気分をたっぷり滅入らしてくれる。見なきゃいいのにと思うが、つい怖いもの見たさで見入ってしまう。そんな小さなことが重なって、時間というものが早く早くと急かすように流れていく。見る必要のないものを見て、考える必要のないことを考え、自分が気分を害しても仕方のないようなことに振り回されている。

本当にサッカーのようにハーフタイムがあったら、どんなにいいだろう。
一年のうち、一週間ほど誰もがやるべきことを放り出し、自分の半年間を振り返り、残り半年の身の振り方を考えるのだ。

思いもかけない名案が浮かぶかもしれない。
少なくても今いる自分よりは自覚を深めて、時を過ごせるだろう。

そんなことを考えながら、つい梅宮アンナに思いを馳せる。
どうして、辰夫パパがいながら、あんなことになってしまったのだろうかと・・・・
やはり僕にも、彼らにもハーフタイムは必要だ。