Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

強さとは

以前、チベットの高僧の講演を聴きに行ったとき、「人生の最大の敵は期待だ」と言っていたことを最近ふと思い出す。

なんだかとことん疲れている。
よくは分からないが疲れというのも所詮は気分の問題だ。
肉体的な疲れは精神的な疲れに比例している。
(逆もまた然りかもしれないが)

身体的に疲れていても、精神的に疲れなんて感じないことはままある。
多くのことについて考え過ぎではあるし、ひとりの人間が責任を取れる範囲なんて決まっている。でも、なるべく自己で完結させたいと願うのは性というやつだろう。
言い訳や後悔なんてしている暇があるくらいならば、新たな過ちを犯したほうがマシだと思う。

自分自身や周りの人々に多くのことを期待してしまう。
もっとより良くありたいと願ってしまう。
多くは自分の至らなさが原因なのだが、生きれば生きるほど現実に幻滅する機会が増えるとは20代の頃は思いも寄らなかった。

あと10年もすれば然り顔で「人生とはかくあるべきである」なんていっているうざい親父になっていたら、イヤだなと心底思う。

10代の頃の自分が今の自分を見たら、どう思うだろうか?
きっと信じられないだろう、この緊張感と危機感の欠如に。

「僕は二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい」と言ったのはポール・ニザンだ。

あの頃の緊張感を持ったまま年を取るなんて不可能だし、そんな生きにくい人生なんて御免だ。
時間をずいぶん浪費しているなと強く自覚している。
かといって、自分がどうありたいという強い気持ちを失ってしまった感もある。

きっと他人を許すたびに、自分も許してきたのだと思う。
そうして、危機感と緊張感も手放してきたのだろう。

せめて創造するだけの危機感を持って30代を生き抜きたい。
模倣や妥協の連続のサイクルだけは避けたいと思う。

二十歳の頃に戻りたいとは露ほど思わないが、あの頃の危機感を取り戻せればとは思う。
何かをやり遂げるには他人を許して、自分を許さない強さがきっと必要なのだろう。