Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

いとしのサルバドール

朝の四時半に起きて、タクシーに乗り込みリオ国際空港へ向かった。
相変わらず安物の目覚まし時計はデタラメな時間を示すので油断ならないが、早起きは得意なのでこんな時間でもばっちり目は覚める。

タクシーは昨夜のうちに手配しておいたのだが、このおじさんは非常に人がいい。このおじさんに限らず、ブラジルのタクシー運転手は良心的な人が多い。インドのようにタクシーでもなんでも値段交渉が必要だと、それだけでくたびれてしまう。そもそもインドは国民全体が詐欺師の傾向があるので、まったく油断ならない。BRICsなどともてはやされている両国だが、インフラや国民性などを考慮に入れると、ブラジルのほうがはるかに将来性があるように思える。
(ただブラジルの男たちは、総じて強盗になる可能性が高いので、それはそれで油断はならない。インドは牛を神聖な生き物とみなして一切口にしないが、ブラジルでは毎日ように牛肉を食べる。片方は詐欺師の傾向が強く、もう片方は強盗の傾向が強い。バランスのいい食事を取ることがいかに重要かということだろう)

Brazil, Salvodor

サルバドールの空港には昼前に着き、バスに乗って市内へと向かった。リオやサンパウロとは明らかに違う雰囲気だ。南米にいるというよりは、アフリカに来たのかと錯覚するほど色使いや歩いている人々は、アフリカの要素が強い。そして、もちろん圧倒的に肌が黒く、原色の服との相乗効果でビビットな印象を人に与える。

市内に着くと、リオのときのように1時間も歩いてホテルを探しても徒労に終わるのを避けるため、予めガイドブックで目星をつけていたホテルにチェックインした。そのホテルはパレス・ダ・セと呼ばれる広場に面しており、便利なロケーションだ。ここなら道に迷わないし、人通りも多いので夜出歩いても大丈夫だろうと思った。

ペロウリーニョと呼ばれる旧市街を歩くと、街並みがフォトジェニックですごく気に入った。原色の壁に青い空、それに褐色の肌の人々というのは、相性がいい。しかし、今までの街と違い、明らかに危険な香りがする。危険というよりは、暴力の香りといったほうがより正確かもしれない。モロッコやインドではそういう感じを受けたことは一度もなかったが、ブラジルではそれをひしひしと感じる。

Brazil, Salvodor

サルバドールの日差しはリオよりも強烈で、一時間も歩くとくたくたになってしまう。それに坂道が多く、歩きづらい道も多い。だが、街の規模が小さいので2時間ほど歩いたら旧市街のペロウリーニョは、ほとんど歩き尽くしてしまった。留学していたスコットランドの首都エディンバラもそうだったが、これくらいのサイズの街が一番自分に心地いい。エディンバラも同じように世界遺産に登録されているが、その街並みはサルバドールのそれとは対極だ。エディンバラがお高く留まった深窓令嬢の美しさだとすると、サルバドールのそれはラテンの血だけが持つ熱狂的な女性の美しさに相当する。

どちらも魅力的だが、通り過ぎる街としてはサルバドールのほうがより適している。こんな街に何年もいると、きっと頭がおかしくなってしまうだろう。ラテンの血を持つ人間以外、住むには激しすぎる街だ。

Brazil, Salvodor

カーニバルの一ヶ月前になると、そのリハーサルのために楽団が野外で演奏しているので、昼夜を問わずどこからかドラムの音が聞こえる。その音色とカラフルな街並み、それに強烈な日差しが一体となって、人々を襲う。街全体があたかもクラブのように熱狂的だ。

夕方になると、日差しも弱まりようやく一息つける。その頃には早朝から行動していたこともあり、くたくたに疲れ果ててしまった。ホテルに戻り一休みしようとするが、ホテルの目の前では、とてつもない音量でバンドが演奏している。土曜の夜ということもあり、パレス・ダ・セには仮設テントが設置され、イベントが催されるらしい。ホテルのフロントに聞くと、夜中の1時までこの爆音が続くという。

Brazil, Salvodor

いまさらホテルを変えるのも面倒なので、枕で頭を抑えつけながらベッドに横になる。長年培ってきた寝つきの良さが功を奏し、2時間ほど仮眠を取ることに成功した。ベッドから体を起こすと、すでにあたりは真っ暗になっているが、音楽のボリュームは格段に増しており、ホテルの部屋にこれ以上留まることは不可能に近い。

街に出て、眠気覚ましにホテルの一階にあるカフェでビールを飲む。こんな音量でも耳は慣れてくるから不思議だ。少しおなかが空いたので、ペロウリーニョ広場あたりのレストランで食事を取ろうとカフェを出る。

いたるところでバンドが演奏しており、人々もダンスに興じ、街はお祭り騒ぎだ。これがカーニバルまでずっと続くらしい。

ライブ音楽が聞けるレストランに入り、料理とビールを注文した。もう何度「スコール」と言っただろうか。宮下さんにはビールを注文するときは、「セルヴェージャ」と言えばいいと教わったが、それだと「ビールの銘柄はなにがいいか?」と聞き返されるので最初から「スコール」と注文することにしたのだった。ポルトガル語を少しでも習っておけばと思ったが、後の祭りだ。まさか「ワン・ビア」ですら通じないなんて想像していなかった。

そんなお粗末なポルトガル語しか話せない人間でも、構わず話しかけてくる人種はいる。世界最古の職業についている女性たちだ。一人で飲んでいると、しきりにこちらに目をやり笑いかけてくる。一人でひまだったこともあり、色々と会話を試みるが、まったく通じ合わない。言葉が話せないということは、まったく不便なものだ。

次第に疲れてきて、「ごめんなさい」と心につぶやきながら、席を立った。その女性にはお金にならない時間を費やさせてしまったので、いくばくかの罪悪感を感じたが、こればっかりは仕方がない。

時計の針はそろそろ1時を指し示していたので、広場の音楽も鳴り止んでいることだろう。このときばかりは性欲よりも断然睡眠欲が優先していた。人間の欲のなかで最も優先順位が高いのは睡眠欲に違いない、と断定的な気持ちを抱きながら帰路についた。