Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

パーティーナイト!

今日は日曜日ということもあり、街は静かだ。ほとんどの店は、店を閉めている。夜になれば、街には喧騒が広がるだろうが、日が出ているうちは息を潜めて、じっと暴れる機会を伺っているようだ。昨日のうちに旧市街のペロウリーニョは歩き尽くした感があるので、今日は足を延ばして近くの海まで行ってみることにした。

カルモいう閑静な地区を抜けると、突き出した高台から海が見える。そこから見える海をまず目指してみようと思った。かなりきつい坂を下りて、海岸沿いの通りに出る。ビーチなどはなく、工業地帯のように見える。これといって色気のない風景が広がっている。しばらく歩いてみたが、人通りもない。海岸通り自体もペロウリーニョのように魅力的な色彩はしておらず、どこからどうもても平凡な通りだ。下ってきた坂道を登るのも気が引けたので、行き先も分からないバスにとりあえず飛び乗った。

ブラジルではバス停というものは存在するが、降りるときは運転手に声をかけて、降りたいところで降りるのが基本スタイルだ。そんなわけでなんとなく声をかけるのが億劫で、窓の景色を眺めながらバスの終点まで行ってしまった。

Brazil

バスから降りると、そこには団地のようなビルが何棟も連なっており、サルバドールの代名詞であるカラフルな壁は見当たらない。ただの住宅地を地球の裏側から飛行機を乗り継いで見に来たわけではないが、成り行き上そうなってしまった。これといって特に見るべきものはないので、観光客なんて一人もいない。ポルトガル語ができれば、地元の人たちと仲良くなるチャンスもあるのだが、笑顔振りまくことぐらいでしたか親睦をはかる方法はなかった。

カフェに入り、一休みしながら隣のテーブルの人たちにペロウリーニョまでの戻り方を聞いた。あいにく直接行くバスはなく、バーラというビーチで乗り換えをしないといけないらしい。バーラに行くバスは一時間に一本しかないとのことだ。

一時間に一本しかないバスを逃すと面倒なので、バス停まで歩いて行くと若い男が英語で声をかけてきた。
「あんた、こんなところでなにやってんの?」
こっちが聞きたいぐらいだったが、「ただ散歩している」と答えると、首を振りながら「理解できない」と言われてしまった。

Brazil

バス停でもバスは一時間に一本しかないと言われたが、そのバスはあと10分後には発車するから待っておけとのことだった。ついているのかついていないのか、よく分からない状況だったが、待つしか選択肢が残されていなかったので、そのままバス停に留まった。

意外にもバスは予告どおり、10分後ぐらいには発車し、その閑静な住宅地を抜け出すことに成功した。ここのところ歩き疲れていたので、バスに乗ることはいい休憩にはなる。がらがらだったバスは途中いくつかの停車を経ると、ぎゅうぎゅう詰めの日本の満員電車のようになってしまい、人々の熱気で息苦しくなった。

やっとの思いで、バーラに着き、そこで降りて散歩してみる。ビーチがあるといっても、イパネマやコッパカバナのように広大なビーチが広がっているわけではなく、猫の額のようなビーチが申し訳なさそうにしている。それでも観光客ですし詰めになっており、ビーチという甘美な響きに誘われた人々が、我先にと浜辺に陣取りして寝そべっている。

Brazil

ある意味、日本的な風景だったがブラジルまで来てそんなものを見る必要を感じず、足早にビーチを後にしてレストランに入り昼食を取った。

ゆっくり休憩をしてから、ペロウリーニョ行きのバスに乗った。ホテルに着いた頃には、すでに夕方近くになっていた。ホテルの前の広場では今夜もイベントが開催されるらしく、バンドが演奏を始め相変わらずの爆音を周囲に轟かせている。今夜もベッドに入るのは夜中の1時を過ぎてからになるだろう。

夜の帳が降りる頃には、バーやレストランから音楽が鳴り響き、今夜も騒々しい夜が始まりを告げた。

ドラムの音を響かせながら楽団が行進し、バンドは競い合うように音楽をかき鳴らしている。昨晩も見た光景だが、何度見ても飽きないものだ。音楽とそれにまつわる熱狂を取ったら、きっとこの街には何も残らないだろう。

街で演奏しているバンドを見て回り、一番良さそうなプレイしていたバンドのところに腰を落ち着けた。人々も大盛り上がりで、老若男女問わず踊っている。その光景は僕に祖母が80歳を過ぎてからオーストラリアを旅したときに「お年寄りが夜中でも遊んでいるの!」と興奮して言ったことを思い出させた。

オートラリアでもカナダでもヨーロッパでも、お年寄りは夜中でも楽しそうに歌い、踊っている光景を見ることができる。ここブラジルでも似たようなものだ。日本が極端に老人を社会から排しているだけだ。このまま金持ちと貧乏人の二極化が進んだら、ますますその傾向は強くなるだろう。一部の年寄りだけ幸せを謳歌し、大多数の老人は虐げられることになる。お金がいつのまにか社会の第一義になってしまい、その他のことはどうでもよくなっている。自分が知っているこの10年見てもその傾向は強くなっている。享楽的かもしれないが、ブラジルの人々はとにかく人生を楽しもうとしている。それがいいか悪いかは分からないが、いたって健康的ではあることだけは確かだ。

Brazil

たまたま隣に座っていた退屈そうなにしていた兄妹と仲良くなり、写真の撮り合いになった。彼が撮った写真はどれもピンボケだったが、なかなか味のある写真が多かった。彼らの母親は目の前で楽しそうに踊っている。リオで会ったサンドラもそうだったが、ブラジルでは子供を置いてきぼりにして、大人たちが楽しむらしい。子供のことを優先にして自分たちを犠牲にしようなんて考えは、彼らにはまったくないのだろう。

そんな感じで彼らとじゃれあっていると「こっちに来て一緒に踊らない?」という視線を女の子が投げかけてきた。その女の子がいる集団は一見したところ、ごくふつうの女の子たちに見えたので、その誘いに乗って彼らと一緒に踊った。

ブラジルではキスは挨拶代わりにするので、アルコールも進みいい感じになると、抱きつかれて「ブチュー」とされた。そのときに「マイス!」と言われたので、ナイスと勘違いして今年のベスト・キッサー賞は自分に違いないとうぬぼれたが、あとで聞いたところによると、それは「もっと!」というポルトガル語だった。

もう正直、これ以上は限界だったので、踊り疲れてふらふらになりながら、帰路についた。そのときに電話番号も渡されたが、ポルトガル語ができない自分に一体どうしろというのだろうか?(これもあとで聞いた話だが、ブラジルの女性は電話をするのがとにかく好きらしい。クラブで知り合った女性から朝の7時に電話がかかってきて「オーイ!なにしているの?」と言われることがままあるとのことだ)

ブラジルの文化を肌で体験して、ペロウリーニョ広場を突き抜け、ホテルまで歩いて帰った。ホテルの前のパレス・ダ・セという広場すでに静まり返っている。いつのまにか深夜1時を過ぎていた。ブラジルの夜は本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。今日はいい夢を見れそうだと思いベットに入った。