Keep My Word

19歳から旅を始めて、スコットランドで英語を学び、アルゼンチンでスペイン語とタンゴを学び、メキシコではサルサをかじり、オンライン英会話/スペイン語スクールを運営している男のブログです。海外滞在歴10年、50カ国ほどぶらぶらしました。

オールド・ボーイ

昨日のサイモンと話で盛り上がったのは「オールド・ボーイ」のことだ。
ちょうど二、三日前に観に行ってかなりショックを受けたので、誰かとその話をしたかった。思えば、彼とは一体何十本の映画を一緒に見ただろうか・・・・数え切れないほどの映画と映画の話。 あの頃はそれが日常だった。漠然とそんな毎日が続くと思っていたが、そんなに人生は甘くはなかった。ただ、べつにあの頃に戻りたいとは思わない。

若さなんて若い頃は特権に思えるが、月日が経つと自分の愚かさと未熟さで恥ずかしく思い返すことが多い。焦燥感と訳の分からない情熱、まったく手に負えない。

オールド・ボーイ」には色々な見方があると思うが、自分にとっては屈折したラブストーリーに思えた。もちろん、そんな一言では言い表せないような強いエモーションを持つ映画だ。カンヌで賞を獲るような映画は、いい意味でも悪い意味で人の神経を逆撫でにする。映像の素晴らしさや俳優陣の圧倒的な演技力もさることながら、その核となるものが強烈だ。観客のなかにはその得体の知れない何かに嫌悪感を催す人も多いと思う。正直いくつかのシーンは相当えぐい。しかし、ラストで救済が訪れる。あのシーンがなければ二度と見たくない映画のひとつになるところだった。

悲劇は使い古された形式だが、扱いは非常に難しい。文学ならまだしも、観客を前提とする映画で悲劇を創るのは至難の業だと思う。後味のいい悲劇的な映画なんて存在するのだろうか?

ムーランルージュ」を撮ったバズ・ラーマンはだからこそ、映画の冒頭で主人公の行く末を予告した。そういった方法もあるにはある。しかし、物語の法則として最初からラストを明かすのは、ちょっと気が引ける。語り手として、それもどうかと思ってしまう。

オールド・ボーイ」は有無をいわさず、観客をその世界と引き入れる。いい悪いは別にして、圧倒的なリアリティをその世界にはある。久しぶりに記憶に残る映画を見た気がする。