Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

Not once, even twice!

まだ時差ぼけだろうか・・・・・いや、違う。昨日の体験で少し興奮しているのかもしれない。目が覚めたが時計を見ると、まだ朝の五時を少し過ぎたころだった。

六時過ぎまでは我慢していたが、もうこれ以上寝れそうになかったので、階下のダインニングルームへと降りていった。

当然、まだ誰も起きておらず、大きな犬と猫が一匹づつ優雅に寝そべっているだけだ。ネットでもやりながら時間を潰そうと、メールをチェックしていると、スカイプでロンドンに住んでいるゴウくんと繋がった。

ゴウくんは年末日本に帰国していたのだが、僕はブラジル行きの準備に忙しく結局会えずじまいだった。そんなゴウくんと年明けにブラジルで話すのも、妙な話だった。ゴウくんに早速、昨日の出来事を話すと「おまえ、よう気分が落ちへんな、おれやったら相当落ちてるわ」と言われた。

たしかにそれほど落ち込んではいなかった。泣こうが喚こうが、人生は続く。だったらどんなにいやなことがあっても、淡々と受け止めてなるべく笑っていたい。それに正直、それほど悲劇的なことではないという認識があった。ブラジルの一地方都市を旅して、たまたま訪れたレゲエクラブの便所で、黒人三人組に囲まれカメラを奪われることくらい、そのほかの世界中で起っている目を覆わんばかりの残酷でどうしようもないことに比べたら、それほど大騒ぎすることではない。

もちろん、これは結果論だ。殴られ蹴られ、腕の一本くらいへし折られていたら、そんな悠長な気持ちにならなかったかもしれない。だが、人生なんて所詮結果がすべてだ。僕は五体満足で、頭にたんこぶ作るくらいで切り抜けられた。それが重要な事実なのだ。
(ああ、でもけっして自慢できることではないが・・・・・)

「おまえ、それにしてもよく無事やったな。ふつう抵抗したら撃たれんで」とゴウくんに言われたが、なぜか襲われているときはそんなことは想像しなかった。ただ腹が立っただけだ。フィルムは大丈夫だったのかと聞かれたが、盗られたのはデジカメだったので、フィルムは無事だったと伝えた。それにデジカメのメモリは襲われる直前に換えたばかりだったので、「すごく運がよかったよ」と僕はゴウくんにいった。

「なるほど、おまえはそうゆうふうに考えるんやな」と言われた。

自分は人と比べて、それほどポジティブな人間かどうかそれほど確信は持てなかったが、たぶんそうなのかもしれない。そもそも人と比べてどうこうという思考回路がすでにない。自分の負うべき責任を負って、起ったことはくよくよせず何事も前向きに取り組む・・・・なんてことを書くと小学校の校長先生の訓示みたいだが、実際そんな感じで生きてきた。起こってしまったことはもう取り返しがつかないが、それに引きずられて今いる現実までも悪化させたくはない。僕は今この瞬間、まだブラジルを旅しているし、まだまだ旅は続くのだ。

ゴウくんとは一時間近くも話し、昨日から続いていた興奮状態も少しは収まった。ブラジルでロンドンにいる友人と話すのは変な気分だったが、これもネットのなせる業だ。

Brazil

その日はさすがに街中を散歩する気分にはなれず、ケリーと二人で近くのビーチに行くことにした。
(本当はその日に知り合ったドイツ人も参加する予定だったが、買い物をし過ぎて疲れたという理由で彼は来なくなった)

ビーチは相変わらずすごい人ごみで、泳ぎ気にはとてもなれず、ただ散歩した。日が暮れる前に市内に戻り、ホステルに帰った。

Brazil

シャワーを浴びてひと息ついたあと、食事に行くことにした。ダイニングルームにたまたまいた黒人のアメリカ人と、それにケリーの三人でレストランに行くことになった。だが、その黒人のアメリカ人が曲者だった。彼は四ヶ月もブラジルを旅しているバックパッカーで、お金がないらしい。普段はパンやバターを買い込んだりして、外食は控えているとのことだ。それはそれで本人の自由だが、僕たちがレストランに入って注文をする段になっても、彼はおなかが空いていないと言って、なにも注文しなかった。挙句の果てに、おなかが空いていないと言っておきながら、ちょっと席を外して近所でピーナッツを買ってきて、それを食べ始めた。それで飢えを凌ぐつもりなのだろう。そんなものを買うくらいなら、その場を取り繕うためにミネラルウォーターかなにかを注文して欲しかった。

そもそもなぜ彼が付いてきたのか疑問だった。ケリーに誘われたから付いてきたのは分かるが、レストランに行くことは分かっていたのにそこでなにも注文しないでずっとピーナッツを食べられたら、こっちの食事もまずくなってしまう。仕方がなく、来た料理を勧めても、それは頑なに拒むし、どうしようもない。

お金がないことは、それはそれで問題ない。それでもレストランに来たい気持ちもなんとなく理解できる。(おおかたケリー目当てで来たのだろう)だが、そこで明らかな空腹を紛らわすためにピーナッツを食うのは、非常に困る。「いやー、オレさ、金なくてさ。なにか食わせて!」と言われたら喜んで食わせる。彼がそんな愛嬌がある人間だったら、食事がどんなに楽しいものになっていただろう。

ふとゴウくんがとても仲良かった友人と絶交したときのエピソードを思い出した。あんなにいつも一緒にいて仲良かった二人なのに、どうして絶交したのかゴウくんに問い質したところ「あいつは男としての誇りがない」と言った。

その黒人がお金を持たないままレストランに来て、何も注文しなかっただけならまだ良かった。そして、その場を取り繕うために100円くらいの水かお茶なんかを注文して、「ちょっとおなかの調子が悪くて」と言っていれば、それはそれでOKだ。しかし、ピーナッツはだめだ。それはゴウくんがいう「男しての誇りがない」にぴったり合致する。

僕たちはなるべく手早く食事を終えて、帰路に着いた。すると、ケリーがなにやら僕に言ってくる。「彼が帰りにクレープ屋に寄りたいと言っているから、みんなで一緒に行きましょう」とのことだった。そもそも彼は空腹ではないという理由を付けて、レストランで食事を注文しなかったのではないかと思ったが、口に出しては言わなかった。三人仲良く彼が行きつけだといっているクレープ屋に行き、クレープが仕上がるのを待った。僕は途中で馬鹿馬鹿しくなり、早足でホステルに帰った。

ブッシュ政権のせいだけではなく、アメリカが嫌いになる理由がまた増えた夜だった。

Brazil

今夜はサルバドール最後の夜だ。
こんな最低な夜のまま終わらせることだけはしたくなかった。

ホステルに帰ったら、一週間ばかり前にこのホステルで働き始めたというアウガスティーナというアルゼンチン人の女の子と初めて話した。話がけっこう盛り上がったので、「ビールでも飲みに行かない?」と誘ったら「O.K.」と言われて、二人でホステルの前にあるバーに飲みに行った。

彼女は現代文学を専攻している大学院生で、まだ25歳だという。あとは卒業論文を書くだけなので、時間がありこうして旅をしているらしい。ホステルにはタダで泊めてもらう代わりに、一日八時間週六日働く契約をしているという。もちろん、給与は出ない。ほとんど奴隷みたいな労働条件だが、それでも働きたい人間がいるから、そういうことがまかり通っているのだろう。
(ホステルのオーナーであるマルコの彼女がアルゼンチン人で、アウガスティーナはその子の親友だという。その縁で彼女が、この仕事を紹介してくれたらしい)
彼女は世界中の作家のリストを作成しており、今日も知り合ったばかりのブラジル人から20人ばかり著名なブラジル人現代作家を紹介してもらったとのことだ。読まなくてはいけない日本人作家を教えて欲しいと言われたので、村上春樹三島由紀夫吉本ばななスペイン語訳でも読めそうな有名な作家を挙げておいた。

お互い文学好きということもあり話が合い、世界文学に関して色々と語り合った。そして、そのうちサルバドールがいかに危険かという話になり、ホステルでは僕が強盗に襲われた話は誰もが知っていたので、その話を詳しく聞きたがった。

そんなわけで実は一度だけでなく、昨夜も襲われたことを話すと「Not once, even twice!(一度だけでなく、二度も!)」と言われて、大笑いされた。

Brazil, Augastina

アウガスティーナの笑いは底抜けに明るく、「なるほど、これは本当に馬鹿げた話だ」と思えてきた。
「一回襲われた話はいい話のネタになるけど、二回も襲われたらなんだか間抜け話しよねー」とどこまでも軽い口調で笑いながら言われてしまった。

これは国民性の違いだろうか?
僕が知っている日本人では最強の部類に入るゴウくんでさえ、あんなに親身になって心配してくれたが、華奢なアルゼンチン人の女の子には大笑いされてしまった。ここまで明るく笑われてしまったら、逆に気持ちがいいものだ。心配されるよりは、100倍気持ちがいい。

ひとしきり笑ったあと、アウガスティーナは急に真面目な顔になり「あなたは日本に帰ったら、ブラジルのことなんていうつもり?強盗に二度も襲われて、とても危険な国だったっていうの?」と聞かれた。

これは重要な質問だ。僕を通してブラジルを知る人が日本にはいるはずだ。いや、日本に限らず世界のどこかで会う人にブラジルの印象を聞かれたら、なんて答えるだろうか?

二回も襲われた僕だったが、それでもブラジルは好きだ。また来たいとも思っている。どこか憎めない国だし、それにブラジルの人々の陽気さには魅了される。アウガスティーナには「強盗に二回も襲われて生き延びたんだって、日本に帰ったら自慢するよ」と冗談めかして答えたが、あとでまたぜひとも旅したい国だと思うと言った。

アウガスティーナはちょっと心配そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻って「わたしもブラジルは大好きよ。サルバドールに六週間いたあと、ブラジル全土を旅する予定なの」と言った。僕の今後の予定も聞かれたが、今日でサルバドールは最後だと伝えると少し残念そうな顔になった。ケリーたちと食事に行かずに、アウガスティーナと一緒にいったらどんなに楽しかっただろうと思ったが、あとの祭だ。それに終わりよければ、すべてよしということにしよう。

彼女が乾杯しましょうと言ったので、僕たちは乾杯した。
ハーピー・バースデ!」とアウガスティーナが言ったので「なんだって?」と聞き返した。「だって今日は私の25回目の誕生日だもん」とさらりと言った。初耳だった。

「それじゃあ、お祝いしないと・・・・・・ケーキなんてなさそうだけど」
時計の針はすでに12時近くを指していたので、今からケーキを買うの無理そうだった。あわててビールを飲み干しホステルに帰り、部屋に戻った僕は彼女にプレゼントできそうなものを一生懸命探した。

あるのはメモリが一杯になったときのためにと買った最高級DVDR、それにNYの空港で買った英語の小説、それにフリスクぐらいだった。そのときはカメラのひとつもあげたくなっていたが、奪われたばかりだったのでもうあげられるようようなカメラは持ち合わせていなかった。

ちょうと部屋に戻ってきたアウガスティーナにその三つのプレゼントを渡すと、「ありがとう!でも私は25歳になったばかりだから、25個のプレゼントをもらわないといけないの。だからあと22個ね、よーく考えてね」と言われた。

彼女が一番気に入ったのが、フリスクで「これどうやってあけるの?」と興味津々だった。そんなアウガスティーナだったので25個のプレゼントはそれほど高くつきそうになかったが、どう考えてもこれ以上あげられるようなものは思い付かなかった。

「もちろん、冗談よ。気にしないで」と言った彼女の目にはどこか真剣さを感じたので、その期待に応えようと、三脚やらフィルムやら差し出したが、「それにあなたにとって必要でしょ」と言われて受け取ってもらえなかった。

いい夜だった。
笑いのおかげですべてが肯定され、二度も強盗に襲われたのがどこかポジティブな経験に思えてきた。アウガスティーナと過ごした時間は一、ニ時間ぐらいだったが、間違いなくブラジルで過ごしたどの夜よりも印象的だった。一生忘れることができない時間だ。

そういう時間を作り出せるブラジルと土地に感謝し、またそこまで足を運んだかいがあったと心底思った夜だった。

これだから旅はやめられない。