Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

新聞という時代遅れのメディア

ここのところ毎日イギリスの新聞ガーディアンの記事を読むようにしている。
http://www.guardian.co.uk

なかなかバラエティに富んだ記事が多く、興味が引かれる記事も多い。
イギリスに住んでいるときは、住んでいたフラットの一階にあったニュースエージェントで毎日購入して読んでいたものだ。
それが今や遠く離れた日本で無料で読めるようになるとは、そのときは想像もしていなかった。

そうして、毎日読んでいると日本の新聞がいかに低俗かということに驚かされる。
出会い系で知り合った男に殺された人たちは確かに気の毒だが、それをわざわざセンセーショナルに取り上げる必要があるのだろうか?また秋葉原の通り魔事件の犯人を執拗に追い、男が書いた掲示板の内容にまでわざわざ言及する必要があるとは到底思えない。

情報ならば、ネットのほうが早い。
新聞というすでにアナログになりつつあるメディアの存在意義は、読み手に取っていかに有益な情報を提供するかということだ。しかし、日本の新聞はただの無益な情報しか提供していない。それは記者クラブのような閉鎖的な機関が情報を統制し、各社ともに似たような記事しか流せない仕組みを作っていることも一役買っている。

そんなことを考えているとブログで、似たようなことを言っている人を見つけた。
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080624/1214298936

少し前のブログなのだが、そのときピンポイントに自分の心を打ち、初めて他人のブログにコメントしてしまった。
(ゆうきという名前で、長々とコメントしているのが僕です。すいません、暑苦しい内容で)

昔は、世界で行われることを知る情報のソースは新聞かテレビのニュースしかなかった。それが今はネットを繋げば、情報が氾濫している。それでもなお、同じような底の浅い情報しか提供していない新聞というメディアは日本ではどんどん廃れていくだろう。

揃いも揃って、どこかで起きた赤の他人が起こした殺人事件ばかり毎日取り上げる日本の新聞に僕はとうの昔に愛想を尽かしてしまった。