Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

遠くアフガンを想う

アフガンで伊藤さんが亡くなった。
農業事業に5年も従事し、地域の復興に役立っていた人間があっさりとその地域の人々に殺された。彼自身にとって相当無念だったと思う。

伊藤さんのような人にとってみれば、自分の技術が役に立てば、世界のどこでもよかったはずだ。それがよりによってアフガンに行ったばかりに、こんな事件に巻き込まれてしまった。
(世界で最も助けを必要としている国のひとつがアフガニスタンであることは間違いないので、理想を抱いてそういった国をわざわざ選んだのかもしれない)

今までアフガンで起こっていることは、どこか遠い国の出来事として認識されてきたが、こんな事件を目の前に突きつけられて、急に身近に感じている。戦争や紛争とは、当事者同士が行っているという前提でいたが、実際はそうではなく、全く無関係の人々が最も大きな被害に遭っているという現実を改めて突きつけられた格好だ。特に現地に住んでいる民間人の犠牲は、われわれが思っている以上に大きい。だが、今回の事件がショックだったのは、最も被害者としては縁遠く思われた外国の技術者が犠牲になったということだ。これが戦争写真家やジャーナリストだったら、これほどのショックを受けなかった。危険を冒すことは彼らの仕事の一部だからだ。

今回は、自分が持っている農業技術を世界に役立てたいと思った人が犠牲になった。そこに憤りと怒りを感じる。殺した人たちにとって重要なのは、理念や理想といったことではなく、殺戮に対する喜びだ。
自分が持っている銃器によって人々を殺傷していくことに、無上の喜びを感じる人々なのだろう。

伊藤さんは5年間を費やしたのだ。

あの不毛の地で20代の半分近くを地域の人々の助けになるようにと、農業事業に勤しんだ。 そして、そんなことは殺戮者にとって全くの無意味だという事実に震撼する。

伊藤さんの周りにいたアフガニスタン人はきっと自国のことを呪っているだろう。
「こんな国に生まれて来なければよかった」と思うはずだ。なんの害もないどころか自国に貢献している外国人がむざむざと無意味に殺されるという事実に衝撃を受けない人間はいない。

国際貢献などと声高に叫ばれているが、実際に現地に赴き汗水垂らして他国に貢献する人間は限られている。「悪人ほど長生きをする」と言うが、今回の事件はまさにそれを喚起させられる。日本という豊かな国に住んでいる人々は、他国に対してもっと真剣に何ができるか考え直す時期に差しかかっている。自戒を込めて、そう思う。