Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

カート・ヴォネガット

朝、機材を抱えて家を出た。
昨夜のアルコールが少し残っており、頭がまだはっきりしない。

いつもとは違う駅で降り、撮影場所へと向かう。
駅に降りてから、機材バックのひとつを網棚に載せたまま忘れたことに気づく。慌てて戻ったが、すでに電車は発車したあとだった。

直接、撮影に関わるものではなかったので、とりあえず目的地へと向かう。あんなものプロのカメラマン以外必要ではないので、誰も盗みはしないとたかをくくっていた。

問題なく撮影が終わり、ネットで調べて忘れ物センターに連絡を入れて、黒い機材バックのなかに入っていたものを伝える。
暇つぶしにと買った文庫本以外、どれも撮影の小道具なので、なかなか説明が難しい。

なんとか伝えたものの、それらは忘れ物としてパソコンにまだ登録はされていないとのことだった。
時間が経つと登録されるかもしれないので、またあとで連絡してくれとのことだった。

それから、三回ほど連絡したが、やはりまだ登録されていないとのことだ。
黒、バック、手提げ袋、その他という検索キーワードでその日に登録された忘れ物のなかから検索してもらうのだが、どれもそれらしきものはヒットしない。
ふと、パソコンがなかった時代は、どのように忘れ物を管理していたのだろうと思う。
検索、検索と気軽に言っているが、ほん10年も前はここまで普及していなかったし、検索なんて言葉は普段使う機会すらなかった。
どうりで年を取るわけだ。

電話では埒が明かないと思い、実際に駅の忘れ物センターに足を運んでみるが、結果は同じだった。

日も暮れ、そろそろ焦り始め、再度電話してみる。
それでもやはりまだ登録はないとのことだったが、オペレーターの女性は非常に親身になってくれ、「お乗りになった電車が車庫に入っていないかお調べしますので、乗車された時刻を教えてください」と言われた。

幸いにも無駄に記憶力がいいので、乗車した正確な時間と行き先、ついでにそれが急行であったことを伝えた。その女性は直接駅に連絡を取って調べるので、折り返し連絡してくれると言ってくれた。

安心するのはまだ早いが、朝に乗車した電車がそのまま車庫に入っていれば、今まで忘れ物として登録されていなかったことも辻褄が合う。
それにしても同じ情報を今まで伝えても、わざわざ車庫に入った電車にまで気が回る人はいなかった。オペレーターのような人たちは、常に同じ対応をしていると錯覚しがちだが、もちろんそこには個人差があり、人によってはずいぶんと違う対応するものだと改めて思った。

すぐに折り返し連絡があり、自分の忘れ物らしきものが見つかったとのことだ。
彼女の声もどこかうわずって、そのことを伝える喜びが感じ取れる。

「お客さまの持ち物かどうか確認しますので、バックのなかに入っ ていた本のタイトルをお教えください」 と言われた。前日にカート・ヴォネガットの本を購入していたのだが、カート・ヴォネガットの本としてしか認識していなかったので、本のタイトルがなかなか思い出せない。

「えーと、作者はカート・ヴォネガットなのですが、タイトルが・・・・」と僕が言葉に詰まるとその女性は 「そうです。カート・ヴォネガットです。タイトルは・・・」

「死よりも悪い運命」
と彼女が続けて少しうわずった声でそうはっきりと言った。
どこか面白がっている雰囲気すらある。

彼女の職場は「忘れ物センター」という傘、鞄、書類などという至極事務的な言葉が日々飛び交う場所だ。 そこで「死よりも悪い運命」なんて言葉を発声する機会は、おそらないだろう。
カート・ヴォネガットも大げさなタイトルをつけたものだ。
だいたい死よりも悪い運命ってなんだよ、と世紀の文豪に向かって悪態をつきたくなる。

それにしても良かったなと思ったのは、「死よりも悪い運命」のすぐ近くにあった柴田元幸翻訳の「セックスの哀しみ」なんて本を購入しなかったことだ。

その女性も仕事帰りに、もしかしたらカート・ヴォネガットの「死よりも悪い運命」という本を手に取ってみたかもしれない。
忘れ物センターに「死よりも悪い運命」という単語ほど似つかわしくない単語は思いつかない。