Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

GOING TO LONDON

きっかけはささいなことだった。
とある日の深夜、ぼーとしながらHISのHPを見ていたらヴァージンアトランティック航空のロンドン行きチケットがやたらと安かった。燃料費込みでも11万円くらいだったので、とりあえず予約してみた。オンライン予約だったので、あとで変更してもいいだろうと考えたのだった。しかし、蓋を開けてみると、変更は一切できず取り消し手数料4万円を払って、一回取り消してからではないと変更ができないことが判明した。そこで仕方がないので、ロンドンに行くことにした。

期間は12月18日から2009年1月5日までの三週間弱だ。出発日を12月18日に設定したのは、翌日から料金が倍になるからだった。

London

しかし、どうみてもロンドン滞在だけでは間が持たない。そこでロンドン在住のヘアスタイリストのゴウくんを誘って、トルコとベルリンに行ってみることにしたのだった。行き先は二人で相談して決めたのだが、ゴウくんは暖かいインドに行きたいと言ったが、ロンドンに行ってまたインド、それにロンドンという馬鹿馬鹿しい旅はしたくなかったので、ヨーロッパを旅行することにした。

トルコは以前から興味があったので良い機会だと思った。個人的にはトルコだけでも良かったのだが、ゴウくんがそれでは長過ぎるとのことだったので、ベルリンにも行くことにした。ドイツはミュンヘンとシンデレラ城のモデルとなったノイシュバンシュタイン城があるフッセン以外に行ったことがない。しかも行ったのは、高校三年の頃だ。あれが初めてのヨーロッパ旅行だった。そのときも友人二人と三週間くらいかけて、イギリス、フランス、ドイツ、ギリシャと回った。遠い昔の思い出だ。

出発前日に適当にパッキングしたスーツケースを持って、成田空港へと向かった。なぜか空港で村上春樹の「ノルウェイの森」を買ってしまい、それを持って飛行機に乗り込んだ。12時間のフライトは、ひたすらオンデマンドの映画を見て過ごした。「ノルウェイの森」はドイツに行くまでに取っておこうと思ったのだった。
(物語は主人公がハンブルク空港に着くところから始まるので、それにあやかったのだった。まあ、実際に着くのはベルリンの空港なのだが)

ロンドン滞在の目的は、ゴウくんと会うことと、以前ロンドンに住んでいたときに一緒のフラットに住んでいたコロンビア人のマリアと会うこと、それにクリスマスセールに賑わうロンドンで、冬物一式を購入することだった。
(なにせ二年前にロンドンで大量に冬物を購入して以来、なにも買っていない。190を超える身長だと、日本ではなかなかサイズが合うのがないのだ。日本で自分にぴったりの服を見つけると、ほかに誰が買うのだろうと逆に心配になる)

ロンドンには最初の三日間滞在し、それからトルコに6日間、ベルリンでも6日間過ごし、そして最後にまたロンドンという日程だ。初日はあまりに疲れていたが、ゴウくんがインド料理屋に連れて行ってくれて、そこが最高においしかった。不味いと評判のイギリスでおいしい料理に初日から出会うなんて、感激もひとしおだ。

翌日の夜はマリアと再会を果たし、イタリアンレストランでピザを食べた。彼女の仕事はアートセラビストというあまり日本に馴染みのない職業だ。心理学に加えて、絵や写真などを通して診療を行うという。通常の精神科のカウンセリングと同じようにマンツーマンで診療を行い、自閉症の子供や少年犯罪者などを相手にマリアは診療を行っているとのことだった。自由な発想で絵を描かせたりするので、子供たちのほうが発想がより柔軟で相手にしていて面白いとの事だ。心理学、考古学、音楽療法を学んできた彼女にとって理想的な職業と言える。イギリスでも新しい職業だが、大学ではきちんとコースもあり、Ph.D.を取得するには5年もかかると言う。
(マリアは修士号までしか取っていないが、いずれPh.D.を取るつもりだと言う。ただそのためには、よほど自分の興味のある専門的な分野を見つけないと、5年も持たないだろうとのことだった)

マリアとは8時半ぐらいに会って、結局深夜1時半ぐらいまでずっと話していた。なんの話をしていたのか今となっては思い出せないが、ひどく楽しかったことだけは覚えている。

(ちなみにビデオはマリアがピザを食べきれず、ピザの耳だけ残して、きれいに並べたのが面白くて撮りました。マリア、食べ物を粗末してはいけません)

出会った頃は21歳だったマリアも今では32歳だ。一緒に居た頃のマリアはなぜかいつもヒョウ柄のジャンパーを着ていて、当時付き合っていた恋人と痴話げんかをして、頭に来たマリアはフラットの窓にパンチを喰らわし、窓にぽっかりと大きな穴を開けたというぶっ飛んだ人だった。 (カンフーの達人のように大きな窓に拳大の穴が空き、やはり彼女はただ者ではないと思ったものだ)

すっかり遅くなったので、彼女のナイジェリア人の恋人はしびれを切らし、僕らを迎えに来た。2年ぶりに会うので、ついつい話し込んでしまったが、翌日も一緒にアンディ・ウォーホルの展覧会を見る約束をして、そこでひとまず別れた。結局、6日間ロンドンに滞在したうち、4回も彼女に会うことになった。

(↓マリアの日本語レッスンです。コンニチワも知らなかったのらしい。長い付き合いになるのに。僕もオラとグラシアスぐらいしかスペイン語知らないので、お互い様かもしれないが)

翌日も昼間に落ち合い、夜まで展覧会をぶらつきながら、一緒に過ごした。彼女と見た展覧会で最も印象的だったのは、自然博物館を見に行ったことだ。考古学を専攻していた彼女にとってそこは天国のようなところだったのだろう。僕らは結局、彼女に四時間以上も延々と連れ回され、すっかりくたびれてしまった記憶がある。それ以来、彼女と展覧会を行くことは鬼門になっていたが、今回はそんなに長居はせずに済んだ。

アンディ・ウォーホルの展覧会には彼の言葉も飾られており、一番印象的だったのはこの言葉だ。

"If you want to know everything about Andy Warhol, you have to look at the surface of my paints, of my movies, of myself. Here I am, there's nothing behind."
(アンディー・ウォホールのすべてを知りたければ、僕の絵に映画、それに僕自身の表面を見ないといけない。ほら、そこには何も隠されていることはない)

僕が人生で最もつまらない映画だと思ったのは奇しくも彼の映画で、エンパイヤーステイトビルが延々と映し出されているただそれだけの映画だった。たぶん、それを映画として見たのが間違いだったのだろう。映画にあるべき起承転結を一切無視し、ただひたする同じビルが映っている映像は映画とは言えない。かといって、それを芸術だというのも無理がある。アンディ・ウォーホル自身は、「過ぎ行く時間を見る(see time go by)」をこの映像を見るとポイントと言っていたらしい。ということは被写体は何でも良かったわけで、それが当時世界一高かったビルになったのは、彼のポップ精神の賜物だろう。ようするに映っているものはなんでも良かったわけだ。アンディ・ウォーホルが延々と世界一高いビルを撮り続けるという行為が、アートなのだ。彼ほど自分の価値を十二分に理解していた人は、ほかにいない。世界的に有名になった寺山修司のような人だ。両者ともに中身がないことによって成立しているアーティストである。行為そのものがアートになる人たちは、なかなかいない。

マリアは展覧会の出口にある部屋にあった雲の形をしたヘリウム入りのたくさんの金ぴか風船を見て、「あれはアンディ・ウォーホルそのものよ」と言ったが、たしかに言い得て妙だなと思った。空気より軽く派手だけど、あくまでポップという地表に留まっているアンディ・ウォーホル

展覧会を出ると、外はすっかり真っ暗でテムズ河からの風も強く、ひどく肌寒い天気だった。ヨーロッパの冬の一日は短い。僕らはそのあとカフェでお茶をして、また色々とお互いの話をして帰路に着いた。こういう穏やかな日を過ごすのは久しぶりなような気がした。日本では何かしていないと、ひどい罪悪感があり、いつも心中穏やかではない。「何かをする」ということだけが奨励されている気すらする。長時間労働サービス残業という発想はヨーロッパには似つかわしないように、日本では「無為に過ごす」ということがとても難しい。

London

翌日からはトルコに行く予定だ。
久しぶりのヨーロッパはとても心地よかったが、身も凍るような寒さだけが玉にキズだった。