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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

カッパドキアにて DAY 1

カッパドキアへの行き方はバスか飛行機で行くかの二通りある。
バスは片道11時間半、飛行機は片道一時間半だが、バスの料金の二倍ほどする。筋金入りのバックパッカーならば、ここは迷わずバスで行くだろうが、筋金入りでもなくましてや今回はバックパックすら背負っていなかったので、飛行機で行くことにした。

Cappadocia, Goreme

着いた空港はカイセリ空港といってカッパドキアの中心ギョレメまでは、車で一時間半ほどのところにある。まずはタクシーで大きなバスターミナルまで行き、そこでバスに乗り換えることになる。空港から乗ったタクシー運転手はしきりに「ギョレメまでは直通のバスは出ていないから、このままタクシーで行け」と勧めてきたが無視し、バスターミナルまで行った。タクシーでギョレメまで行くと、120リラでこれはイスタンブールからカッパドキアまでの飛行機代に匹敵する。

バスターミナルでギョレメまで行くバスがあるかどうか訊くとあっさり見つかり、わずか10リラで行くことができるという。そのバスに乗り込むと、そこで通路を隔てた隣の席に座ったフランソワというフランス人と知り合った。彼はギョレメではなくネヴシェヒルに向かうと言う。そこはどんなとこだと訊くと、奇岩群を見る出発地点としては最適な場所とのことだ。カッパドキアの情報と言えば、ネットで見たギョレメという街の名前しかないので、彼の言う通りそこに行った方がいいのかもしれない。バスにはほかに外国人はおらず、そのせいもありお互いに色々と情報を交換した。彼も同じ便でイスタンブールからカッパドキアに着き、三週間ほどトルコを旅する予定とのことだ。大晦日にはイスタンブールにまた戻り、カウントダウンパーティーに参加する予定だと言う。今回の旅には僕はキャノンのG9とコンパクトカメラのリコーGR10しか携帯していなかったが、フランソワはそんなプロも真っ青のキャノン5Dという立派な一眼レフを手に携えていた。
(言い訳すると前回のブラジル旅行で一眼レスが目立ちまくり痛い目に遭ったので、今回は小さなカメラしか持ってこなかった)

最初、フランソワのことをスペイン人かと思ったが、それもそのはずで彼はスペインのアリカンテ在住だった。英語、スペイン語、フランス語と操る彼は世界中どこに行っても困らないだろう。昨年はコロンビアやペルーといった南米を旅したとのことだった。僕もブラジルに行ったということを話すと「南米のなかでも最後に行くところだね。ほかにいくところがなければの話だけど」とフランソワは言った。最初はなぜだか分かず反論してみたが、なんとなく肌感覚で彼のいわんとしていることは分かった。あの狂騒を好きになれない人間のほうが、世の中には多いし、旅にそんなものを求める必要も特にない。彼のようにマチュピチュやコロンビアのジャングルなどを巡ったほうが、より健全だろう。

フランソワも一人旅だったので、「まともに話すのはすごく久しぶりだよ」と言った。イスタンブールには二日間しかいなかったが僕もずっと一人だったので、彼のいわんとすることはよく分かる。バスはギョレメに着いたが、ここで彼と別れるのも名残惜しいので、そのまま一緒に聞いたこともない街、ネヴシェヒルに行くことにした。

ネヴシェヒルに着くと、早速ホテルを探すことにしたが、バス停にはなにもなく二人で案内所でもないか探してみた。そこでようやく見つけたところはロック・ビュー旅行代理店というところで、カッパドキアの日帰りツアーも扱っているという。ちょうど良かったので、そこで明日の日帰りツアーとホテルを予約し、まだ昼の12時過ぎだったこともあり、この近くにある地下都市にも行くことにした。

[caption id="attachment_549" align="aligncenter" width="500" caption="(これが地下都市の入り口と思うくらい付近には何もない)"]Cappadocia, Goreme[/caption]

旅行代理店のワゴンバスに揺られること20分、地下都市の入り口に着いた。それはただの住宅地にぽつんとあった。中に入ってみると、1万人もの人が住んでいたとは想像ができないほどかなりこじんまりした作りだった。ちゃんと礼拝堂やキッチンなどがあり、それはそれで興味深かったが地下都市と聞いてもっと大規模なものを想像していたので、正直少しがっかりした。地下都市に行った後、旅行代理店の人がホテルまで送ってくれて、そこで荷物を降ろしてから、昼食を食べにギョレメの中心へと出かけることにした。

オフシーズンということもあり、開いている店自体少ないので、ツアーガイドおすすめのレストランに行くことにした。そこは家族経営のレストランで、応対してくれた男性は長い間スペインに住んだことがあるトルコ人だった。しばらく、フランソワとスペイン語で長々と話し込んだあと、スペインでの生活に関して色々と話してくれた。いわく、スペイン人はシエスタの習慣があるので、昼間の二時から四時まで全く働かないし、夜はバーとクラブに繰り出し、毎日のように朝まで遊んでいるとのことだ。フランソワも「同僚のスペイン人は、深夜1時に待ち合わせをしようというから困る。しかも平日にだよ。僕の限界は遅くても夜の11時が人と待ち合わせる限界だ」とのことだったが、日本のスタンダードに照らし合わせれば、それでもあり得ない時間での待ち合わせだ。

Cappadocia, Goreme

フランソワの契約形態はフリーランスだったが、クライアントはEU(欧州連合)でそのためにヨーロッパ各国を旅している。彼の肩書きはソフトウェアやウェブサイトなどの進行管理をする「プロジェクトマネージャー」というものだ。仕事は忙しいが、それでも朝の九時半から夕方五時半まで働き、そのあとは自分の好きなことをする時間があるとのことだった。そして、年に一回一ヶ月ほど休暇を取り、世界を旅しているという。同僚のスペイン人は長々と仕事をしている人たちもいるが、それはシエスタを取ったり、おしゃべりをしたり効率の悪い働き方をしているからだと言った。

彼らの話を聞いていると、ぜひともスペイン語を学び、スペインに住みたくなった。

トルコ人男性の話で面白かったのは、イギリス人に関する話だ。彼はスペインのバーで働いているときに、散々イギリス人から嫌がらせを受けたらしく、イギリス人のことをひどく悪く言った。そのなかでも特におかしかったのは「イギリス人はどんな会話でも、これはかくかくしかじかと言ったあとに、必ずBUT(しかし)と続ける。そうして彼らの話はけっして終わることがない」と嘆いた。たしかにその通りだと思う。元来、議論好きな人種なので相手をとりあえず肯定しておいて、次にはひどくこき下ろすことが往々にしてある。それにしても彼はスペイン語を堪能だし、英語もほぼ完璧だ。語学の才能に恵まれているのだろう。

料理はとてもおいしく店の人の話も面白かったので、僕らは大満足だった。
旅の疲れを癒そうと、僕らが次に向かったのはハマム(トルコ風呂)だ。アカスリマッサージに、ソープマッサージが付いて、35リラ(2500円ほど)と悪くない値段だ。それにそこにはプールやサウナも付いているので、トルコの冬の厳しさにすっかり冷えきった体をほぐすのはちょうどいい。それになんといっても、フランソワが大のハマム好きだった。彼はイスタンブールでハマムを初体験して以来すっかり気に入り、そのあと毎日のようにハマムに通っているということだ。

(フランソワが大好きなハマムに入るところです。入る前に泥を塗られ、それに美肌効果があるのかもしれません。ビデオで言っているように20歳のような肌に戻ることはないと思います)

ギョレメの中心に位置してたハマムはなかなか豪勢で、僕たちはすっかり気に入り、二時間以上そこにいた。とくに熱で暖められた大理石に寝転がるのは気持ちよくあやうく眠り込みそうになった。ハマムを出た僕たちは当然のごとくビールを飲みにバーへと繰り出した。だが、営業しているバーがなかなか見つからないので、土産物屋に入りどこかにバーがないか訊くと「FATBOY」というバーがオープンしているということなので、そこに行くことにした。

ハマムを出たときはまだ夜の七時半くらいだったが、そのバーを出たのは12時半くらいだったと思う。ずいぶん長い間フランソワと話をした。僕が特に興味があったのはEUに加盟している27カ国もの国々の人たちをどうやって取りまとめているかということだ。二国間でもにっちもさっちもいかないことが多いのに、彼の場合はその数が半端ではない。

「秘訣は各自に同じチームに所属しているという意識を持たせることだよ。何か問題が起こったら、まずはその当事者から話を聞き、彼あるいは彼女が何に不満を持っているか訊くんだ。そして、今度はその問題解決の策を練り、一緒に解決していくだけさ」と事もなげにフランソワは言った。その問題解決が難しいのだが、その前段階である「同じチームに所属している」という意識を持たせることがそのための秘訣なのだろう。フランソワは外見は老けているが、じつは僕よりも一歳だけ年が上だった。そんな彼は仕事も楽しみ、プライベートも充実していそうだし、何よりも非常に魅力的な人だった。自分ももっと充実させないと後れを取るなと思い、改めて気を引き締めた。

ヨーロッパはEUに統合されてから人の行き来が非常に活発になり、真のグローバリゼーションを実現している。日本のように大袈裟な言葉だけ一人歩きしている国とはそこが違う。隣人はアイスランドから来ている人もいれば、ギリシャから来ているもいる。そういう環境では必然的に人格の強さがものを言い、総じて個性の強い魅力的な人を輩出しやすいのかもしれない。「人は必要に迫られないと、努力しない」ということだろう。

ヨーロッパで一流の仕事をしている人は、フランソワのように三か国語ぐらいは話せるのが当然なのかもしれない。
(とある統計ではアメリカで企業幹部が話せる言語は1.5言語だが、オランダでは3.9言語という結果になっている。それに付け加え2001年には「ヨーロッパ言語年」と銘打ち、母国語プラスEUの二カ国語、合計三か国語をマスターすることが提唱されている)

日本では価値観の共有、常識がコミュケーションの前提となるが、ヨーロッパではそんなことは言ってられない。生まれた国が違えば、当然価値観も違うからだ。フランソワのように圧倒的に自分よりも経験も豊富で、キャリアも上の人に出会うといい刺激になる。彼の唯一の弱みは、未だ彼女がいないことだが、それもそのうち解決するだろう。
(試しにマリアにフランソワのハマムの映像を見せたら、「悪くない」と言っていた)

僕たちはシーシャという水たばこを吸い、ビリヤード台があったのでエイトボールをプレイした。すごくへたくそだと言っていたフランソワに気を使って勝たせるうちに調子が狂ってしまい、四回連続で負けてしまった。このくそ寒く閑散としたカッパドキアで彼と出会わなかったら、今日はひどく惨めな日だったろうなとビールで満たされた頭で漠然と考えた。あのときバスで意を決して話しかけて、そしてあっさり自分のプランを変更して彼に付いて行って本当に良かった。

明日はクリスマイブだったが、カッパドキアで過ごすクリスマスも悪くはないなと思った一日だった。エイトボールのリベンジを誓い、FATBOYをあとにした。