Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

楽園

朝からずっと家に籠もっていたので、近所のファミレスまで気分転換をしに行ってみた。

喫煙と禁煙を選べたので、禁煙席へと案内してもらった。最初はなにかざわざわと騒がしいなとしか思わなかったが、あたりを見渡してみるとすべて女性だった。それもものの見事に「おばさん」というカテゴリーに属する女性ばかり。少し興味を覚えて彼らの会話を盗み聞いてみた。

「幼稚園」「近所の誰々さん」「ゆう太くん」といくキーワードが聞こえてくる。どれも大まかに言えば、愚痴あるいは他愛のない話だ。でも、それを本当に楽しそうに話している。一人一人の音量はそれほどでもないのだが、全員がそんな感じで話しているので、こんなに騒がしくなってしまうのだろう。

本当にここは「おばさん」だけの聖地なのだろうか?
それを確かめるために、ドリンクバーへと赴いたついでに禁煙席全体を見回してみた。すべての席は驚くことに女性で占められていた。なかには一人、年を取り過ぎていて性別の区別がつかなくなった老人が一人いたが、それは勘定には入れていない。

ドリンクバーを隔ててレストランの反対側にある喫煙席には、対極の性、すなわち「おじさん」が陣取っていた。そこには北緯38度線のように厳然とした線引きがされているかのようだ。楽しそうな「おばさん」たちとは違い、「おじさん」たちはすっかり疲れ切っているように見える。彼らの主戦場はここではなく、「コスト」「生産性」「効率」という殺伐としたキーワードが飛び交う世界なのだから、致し方ないのかもしれない。

未だどちらのカテゴリーにも所属しない僕は、読みかけの「潜水服は蝶の夢を見る」を広げ、iPodを耳にはめて別世界へと飛ぼうとする。でもやはりどうしても、「おばさん」世界の陣地に居座ることへの居心地の悪さからか、読書に集中することができない。

彼女たちにとって昼間のファミレスは、朝の洗濯に掃除、そして夕方から待ち受ける夜ご飯の準備のあいだの至福のひとときなのだ。ともすれば退屈という魔の手が彼らを脅かすので、彼女たちは彼女たちの世界を死守するために毎日昼間のファミレスで決起集会を開いているのかもしれない。お互いがお互いの生活を確認し、誰もが自分よりちょっと不幸か、ちょっと幸せであることを確かめているのだろう。

羨ましいとは思わないし、それはそれで大変だろうなと思う。

僕はまだ「効率」と「生産性」の狭間でもだえ苦しんでいる方が性に合っている。決まりきった毎日を送るよりは、冒険をしていたい。生活に苦しめられるよりは、生活を自分に従属させ、それを楽しみたい。

最近つくづく思うのだが、他人から評価されるべきは結果のみであって、自分にとって本当に価値があることはその過程であるということだ。

その過程を心ゆくまで楽しんでみたい。行き当たりばったりで自分でも今後どうなるか想像がつかないが、運が良ければ結果を伴うだろう。そして、その結果は自分の努力の結果ではなく、たまたまうまくいってしまっただけであり、必然ではない。そういう自覚が大切なのだ。

僕が彼女たちの楽園をあとにしようと伝票を持って立ち上がって周りのテーブルを見ると、僕が席についてからずっといた人たちばかりで、誰も席を立っていないことに気がついた。そこで初めて、彼女たちを羨ましく思った。

彼女たちの楽園はまだまだ始まったばかりだ。
狂騒の宴はまだまだ続き、それを尻目に僕はまた殺伐した世界へと戻って行く。きっと彼女たちは内心、今晩のおかずのことで頭を悩ましているのかもしれないが、そんなことはさておき今を楽しんでいる。何よりもそれが一番重要なことなのだから。