Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

けっして消えない光

旅に出ると、思う。
例えば電車や飛行機に乗り遅れたとき、あるいは予定よりも一本早く乗ったとき。泊まる予定だったホテルではなく偶然通りかかったホテルに泊まることにしたとき。それは旅で起こるごく日常的な光景だ。そんなとき、予定通りに行動していたら、どんな出会いが待っていたのだろうかと。

日常生活は残酷だ。僕たちからそんなことを想像する機会すら奪ってしまう。目の前の現実で手いっぱいで、「あったかもしれない現実」なんてものに関わり合う暇はないのだ。

一瞬一瞬が選択の問題だ。だが、それを自覚すること難しい。「あったかもしれない現実」に時間を割くよりは、今この瞬間に起こっている現実に対処するほうがより発展的だし、建設的でもある。

それでも、やはり自分自身が失った可能性に関して、時々思いを馳せる。特に後悔をしていることはないが、違う生き方があったのではとは思う。そんなとき無性に旅に出たくなる。一人異国の地に行って、現地の空気を吸いながら、漠然と人生を振り返る。旅は僕にとって「簡易な自覚を促す装置」として機能しているのかもしれない。

旅は様々なハプニングを提供してくれ、飽きることはない。自分の思い通りになることは稀だし、見ず知らずの人と出会ったら、一瞬で彼あるいは彼女が信用に値する人物かどうか判断しないと命取りになることもある。そんな日々を過ごすことにより活力を取り戻し、ますます人間という生き物に魅了されていく。

旅の途上で出会ってほんの2、3時間しか一緒に過ごしたことがない相手のことを、ふとした瞬間に思い出すことがある。プルーストのマドレーヌのようにそこから壮大なストーリーが生まれることはないが、いつまで経っても消えない光がそこにある。

きっとそういった小さな光を紡いでいくことが、心底好きなのだろう。世界という漠然とした対象を考えるとき、僕は彼らのことを思い出す。点と点だった小さな光が合わさり、小さな小さな明かりを世界に灯してくれる。それらが自分が生きた証とまでは思わないが、少なくても自分の人生をちょっぴり明るくしてくれる。

彼らが僕の人生を明るくしてくれたように、自分も彼らの人生を少しばかり明るいものにしていればと願っている。

旅に出て、世界というものを身近に感じられるようにしてから、しっぽりとした日常生活に戻っていく。日々の雑多な現実に埋没しないように、世界をほんの少しばかり明るくすることを念頭に置きながら・・・・

意味や目的などには囚われず、ただただ「消えない光」を胸に抱えて、日々の現実と格闘をする。そうして、少しずつ世界という抽象的な存在が明るくなることを夢想している。