Keep My Word

19歳から旅を始めて、スコットランドで英語を学び、アルゼンチンでスペイン語とタンゴを学び、メキシコではサルサをかじり、オンライン英会話/スペイン語スクールを運営している男のブログです。海外滞在歴10年、50カ国ほどぶらぶらしました。

初体験

ロンドンに住んでいた頃、生きていくためにいろんな仕事を経験した。
それはまさに純粋に生きていくために、食べていくために仕事をしていたので稼ぎも悪く、家賃や食費などのものすごくベーシックな要求を満たすのが精一杯の稼ぎしかなかった。
それでも周りの人間も似たようなものだったので、とくに不便は感じていなかった。
ただそれが一年以上続くと、さすがに辛くはなったけど、それ以外の事に関してはとても幸せな時期だった。

僕がロンドンで最初に就いた仕事がバーテンダーだった。
ロンドンに到着して二週間くらいで運良く仕事にありつけた。
手元のお金がそれほど多くはなかった自分にとって、それはとてつもない幸運に思えた。
それもロンドンの中心街に位置する四ツ星ホテルでのバーテンダーだ。
どきどきしながら面接に挑んだ。

経験者のみの募集にかも関わらずぬけぬけと二年ほど経験ありと嘘をついて、面接のアポを取った。
なんとなくなんとかなるだろうと思ったのだった。

バーテンダーは確かに特殊技能を有する職業だとは思う。
僕が高校の頃、トム・クルーズ主演の「カクテル」が流行ったから、それなりにバーテンダーという職業に憧れもあったし、漠然とあんな芸当は自分にできるのかと訝しがる気持ちもあるにはあった。
しかし、カクテルぐらいは誰でも作れるだろうとタカをくくっている自分がいた。
浅はかで向こう見ずな二十代前半の頃の話だ。

面接に行くとホテルの支配人が面接の応対をし、色々と質問された。
たしか彼はエジプト人だったはずだ。
面接自体にさしたる興味を示さない彼は、おざなりに僕のバーテンダーとして経験を聞いてきた。

日本はヨーロッパと違って酒などを主体としたカクテルなどがメインで、スタイルが違うなどと言い訳を交えながらあることないこと出まかせを僕はその彼に言った。
そして最初は戸惑うからかもしれないがこなせる自信はあると言い切った。
ここで重要なのは物事を言い切れる強さだろう。
僕の強みはこういったシチュエーションでも、根拠のない自信があることだ。
単純に楽天的で愚かなのもある。
ロシアでひどい目にあったりインドで筆舌に尽くし難い経験をしてから身に付いたものというよりは、生まれ持ったものが影響していると思う。

そんなこんなで面接を軽くクリアし、「明日から来い」と言われた。
だからその日に慌てて仕事に必要な必要な白いシャツと黒のスラックス、それに念のために「ハウ・ツー・メイク・カクテル」という本を購入し、万全を期した。
僕は何事にも抜かりがない男だ。

そして、いざ初出勤して驚いたことがある。
それは一人でバーを仕切らないといけないということだ。
バーテンの経験も皆無な東洋の小国に生まれた無知な若者が一人、世界的大都市ロンドンの四ツ星ホテルのバーを一人で取り仕切るのだ。
さすがの僕の自信もここで揺らいだ。
「大丈夫か、おれ?」と心の中で呟いたが、背に腹を変えられないのでやるしかなかった。

最も被害を被ったのは、そこに宿泊して一杯楽しもうとバーにやってきたお客さんだ。
ロンドンのホテルの宿泊費は高い。
それに四ツ星ホテルだ。
一泊三万くらいはするだろうか?
そんな金を払い「ピナ・コラーダひとつ」とバーテンに注文しても、そのバーテンはその生まれて初めて耳にする「ピナ・コラーダ」と耳慣れない言葉に「そんなものは置いていない」と妙な強気な態度で断るのだ。
「置いてわけないだろう!」というその客のセリフは最もで、すごすごとそのバーテンはカウンター下に隠しているハウ・ツー本のPの欄をめくり、納得顔で「今日は特別にピナ・コラーダをあなたのためにお作りします」と済ました顔で言ってのけるのだ。
最低最悪のバーテンダーだ。

僕が作り方を覚えたカクテルは全部で三種類しかなく、それ以外のオーダーは調べるか丁重にお断りするかしていた。
よくクビにならなかったものだ。
もちろん、そんなに長くは続かなかったが、ロンドンで食っていくためにそれぐらいタフでないとやってはいけないのも事実だ。

ロンドンで決定的に学んだのは、何事もまずはやってみるということだ。
簡単なようでいて、意外と多くの人は未経験のことをするのに尻込みをしてしまう。
誰だって怖いのは同じだし、失敗をするのは嫌なものだ。
それでもやってみる価値はある。
この生きている瞬間だっていわば未経験の瞬間のなのだから、それにちょっとしたスパイスを効かせるつもりで新しいことに挑戦をしてみるといい。
何年か経って思い返すのは、そういった漠然とした不安を押し殺して新たなことに挑戦したことに違いないのだから。