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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

異国の地にて働くということ:フィリピン人の出稼ぎって、すごいな。

先生採用を相変わらず進めているのだが、応募者のほとんどはフィリピン人女性だ。この背景には多くのフィリピン人男性は海外に出稼ぎに出るという背景がある。以前とは違い、フィリピンの未来に希望を抱いて本国で働くことを選択した人たちも中にはいるが、まだそれほど多くはない。

数少ないフィリピン人男性の履歴書を見ると、海外でウェイターなどをして帰国している人たちがほとんどだ。もちろん、どの人たちもフィリピンの一流大学を卒業している。それを見て、自分がロンドンでバイトをしていた頃を思い出した。

ロンドンの日本人がバイトするというと、そのほとんどは日本料理屋ぐらいだが、それはどうも男の沽券にかかわると妙なプライドの持ち主だった自分は、シルバーサービスウェイターという仕事をしていた。仕事内容は会社の重役たちのランチ給仕や、上流階級の人たちのパーティーでの給仕だ。なぜシルバーサービスと呼ぶかというと、銀のスプーンとフォークで料理を取り分けるかららしい。たいていは10人がけの丸テーブルを一人で担当し、順番に料理をサーブしていくという単純作業だ。

同僚になった人たちの多くは非EU圏の人たちが多く、国籍も様々でコロンビアやペルー、それにブラジルなどから出稼ぎに来ていた人たちが多かった。本国では一流大学を出て建築家やグラフィックデザイナーとして働いていたが、仕事が少なかったのでロンドンまで出稼ぎに来てた人たちが多かった。

フィリピン人の人たちがすごいなと思うのは、彼らの多くは海外で最底辺の仕事をしながら、なおかつ本国に送金していることだ。それはフィリピンのGDPの10%も占めるという。シルバーサービスなんて聞こえはいいが、稼ぎは悪く、本当に最底辺の仕事だったので、そんな仕事をしながら送金なんて夢にも思わなかった。まさにその日暮しの生活だった。ちなみに給料も働いた翌週に支払いがあるので、なんとか一週間を生き抜くというメンタリティしかなかった。

シルバーサービスウェイターをする前は四つ星ホテルでバーテンダーしており、そこにはフィリピン人が何人かいた。四つ星ホテルともなると英語もきちんと話せる人しか雇わないので、彼らがそこに勤めていたのも分かる。でも労働環境はそれほど良くなく、エジプト人の支配人は本当に嫌な奴だった。もう15年もそのホテルのレストランに勤めているというフィリピン人男性がある日バーにやって来て、バーの酒で勝手に自分のカクテルを作り、しんみりと「おれはこのホテルで15年も働いて本当に後悔している。本当に後悔しているんだ」と語った。

今となっては彼にどんな事情があるか分からないが、ここにいたらまずいと思った僕は彼のしんみりとした告白を聞いた二日後にその仕事をばっくれた。

きっと彼には本国に家族がいて、彼らをサポートするために嫌な仕事を15年も続けざるを得なかったのだろう。ものすごく同情はするが、そこにはどうしようもない現実が横たわっている。所詮、僕にとってみればウェイターやバーテンダーなんて腰掛けの仕事でしかなかったが、彼らに取ってみればそれは否応なくずっと続けざるを得ない仕事だった。そのようなことまで当時は慮ることは出来なかった。

そのようなことに想いを馳せると、人の履歴書にはその人の歴史が込められている。彼らの歴史を感じ取りながら、今後も先生採用に力を入れていこうと思う。