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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

個人商店の時代へ:グローバル時代を生き抜くために。

今週の土曜日に行うセミナー「会社に頼らない生き方とは:グローバル時代を生き抜くために」のために、色々な経済書を読み漁ってみた。

結論から言うと、「日本、暗い」に尽きる。

グローバル時代になり、以前のように新卒一括採用で大企業に勤務出来たとしても、その会社がそれほど長いあいだ存続することが不確かな時代になった。熾烈な競争が繰り広げられ、青春時代を犠牲にしてまで受験勉強に時間を費やし、そしてそのあと社畜となって理不尽な上司の命令に従ったとしても、それほどの見返りが期待出来ない時代が到来したというわけだ。

今後、問われてくるのは個の力になる。

以前は企業が守ってくれていたのに、いきなり外に放り出されてサバイバルしていかないといけない時代になった。ある意味、これは機会の均等を意味し、喜ばしいことでもある。

学歴もなくまた大企業に勤務しなくても、自分の腕に自信があれば、チャレンジしてもある程度通用する時代になったということだからだ。大企業が以前ほどのスケールメリットを活かせなくなり、それに変わって個人の資質というものに大きく左右される時代になった。(以前ももちろん挑戦出来たが、ジョブズビル・ゲイツ並の胆力と才能の持ち主ではないと生き残れなかった)

大規模な施設などは必要ではなくなり、クラウドコンピューティングにより、それらは無料で提供されるようになった。その上に何を載せるかは、腕次第というわけだろう。個人商店の時代の再来と言ってもいいかもしれない。

自分のようにずっと組織に頼らず独立独歩で生きてきた人間に取ってみればチャンスだと思う。だが、ずっと今まで組織に頼って、そこでしか自分のスキルが活かせない人たちにとっては受難の時代と言えるかもしれない。

テクノロジーの進化によって、労働力の必要性は著しく低くなった。そうなってくると、サービスのより上流、ほかの人に出来ないことを供給できる人間にならないと生き残っていくことが難しい時代になったということだろう。

逆に単純労働に従事したい人は今後は海外に行ったほうがいいのかもしれない。言語という著しく高い障壁はあるが、日本にいて野垂れ死にするよりははるかにいい。それに海外のほうが他人にはやさしい。(ヨーロッパやアメリカ以外の海外という意味ですが)日本にいる日本人よりも、海外にいる日本人のほうが当然稀少価値があるので、まだそこに勝機があるかもしれない。

ただ自分自身の能力により自覚的にならなければ、今後は食いつないでいくことすら難しい時代になるだろう。大変な時代になったものだと思う。

我が身を振り返ると、気が遠くなるぐらいやることは山積みだが、方向性自体は間違っていないと思う。それに今更、間違っていても後戻り出来ないし・・・・・・時として信念を持たないと、やっていけないしね。常にその信念が間違えている可能性を自覚していれば、取り返しのつかない事態は避けられるのではと思っている。

「常に自分が間違えている可能性を考慮すること」意外とこれがこの厳しいグローバル時代を生き抜く必須のツールなのかもしれない。