Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

冠詞とブエノスアイレスと祖国

日本人がよく間違える英語の使い方で、冠詞がある。「a、an、それにTHE」だ。日本語は厳格に冠詞を用いないので、当然その使い方にも戸惑いが生じる。

今日、ふと思い立って髪の毛を切りに、近所の美容室へと行った。ここブエノスアイレスでは当然、何事もスペイン語を話さないといけないので、髪の毛ひとつ切りに行くのも勇気が必要だ。

「髪の毛を切りたいのですが・・・」というスペイン語を丸暗記して行ったのだが、髪の毛ひとつ切ってもらうにも、色々と話すべきことがある。ただ、今回たまたま担当になった人は、ものすごく親切な人で僕がまだブエノスアイレスに着いて二ヶ月目で、さらにスペイン語を毎日勉強していると伝えると、とてもゆっくりとスペイン語を話してくれて、さらにどうにか会話を続けようと最大限に努力してくれた。

今の自分にとってスペイン語の会話を成り立たせることは、ひとえに話す相手の努力にかかっている。言いたいことをものすごくシンプルに頭のなかでスペイン語にまとめて、それを息も絶え絶えに吐き出すことは出来るようになってはきてはいるが、それでも恐ろしいほどに時間はかかる。

本当に気の遠くなるような時間がかかるが、それでも相手がこちらの言わんとしていることを理解しようと努力してもらわないと、何も伝わらない。

だから、その美容師さんには「なんだか悪いなー」という想いがいっぱいだったが、相手にそれほど気を使ってもらうのも悪いので、色々とこちらからも話しかけるように努力した。そこで彼が、「どうしてブエノスアイレスに来たの?」と質問してきたので、あれこれと「なぜ自分がブエノスアイレスを気に入っているか」を説明したが、彼にも「ブエノスアイレスは好き?」と訊いた。

その問いに彼は最初は「NO」と答えたが続けて、「ブエノスアイレス自体は気に入っているが・・・・」、でも「 La gente・・・・・」と続けた。彼曰く「La gente(ラ・ヘンテ:人々)がどうしようもない」ということだ。

このときに彼が「La gente」と言ったときに僕は、「彼は個人的に手ひどい裏切りに何度もあっているのだろうな」と推測した。もし、彼が「Muchas personas(たくさんの人々が・・・・)」という主語を使って、ブエノスアイレスを表していたら、それほどパーソナルなことだと取らなかったと思う。

例えば、英語で「The people in Buenos Aires」と「Many people in Buenos Aires 」と言ったときに両者には大きな違いがある。前者は集合体【強調】を表しているので、「ブエノスアイレスに住んでいるすべての人々」となるが、後者は「ブエノスアイレスに住んでいる多くの人々」となる。

彼はそのあと「ここでは人を信頼してもすぐに裏切られる」と言った。(えっと、これは彼が文字通り、自分の手をかざして、それをひっくり返して表現してくれたので、「ああ、アルゼンチンにも手の平をひっくり返したように人を裏切る」という表現あるのか、と思った次第です)

そのあと、彼は「自分はもう43歳で、長い間この街を見たけれど・・・・」と色々と意見を述べてくれた。彼が言ったことの半分くらしかよく分からなかったけど、「自分はもう43歳・・・」と言ったくだりで、きっと深刻に自分の国のことを悩んでいるのだろうなと思った。

自分もよく外国人に向けて、日本人云々というが、それでも今まで一度も「The people in Japan」あるいは「The people in Tokyo」といった主語を使ったことはない。

なぜなら、割り切れないからだ。20年以上日本に住み、東京にも10年ぐらい住んだけど、それでもよく分からない。きっと「THE」という冠詞をつけて、日本を語るときは、日本にとことん絶望したときだろう。

自分が40歳を超えて、自分の国の首都にとことん絶望するのは、イタイと思う。きっと、僕は「La gente」というスペイン語を聞くたびに彼のことを思い出すだろう。