Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

宿題にまつわる負の感情についての一考察

昔、村上春樹の本のイラストで有名な安西水丸さんの著書を読んだことがある。

そのなかにあったエピソードとして、青山近辺にある公園の話しが印象に残っている。

いわく「昼間、青山を自転車に乗って通る公園があるのだけど、その公園に目を見張るほどの美人な奥さんたちが自分たちの子供を連れてくる。そして、その子供たちを見ると、どの子も母親に似ておらず、あまり可愛くないのだと・・・・・・」

そこで安西さんは彼女たちの旦那さんに想いを馳せて、きっと彼らは頑張ったのだと、彼らは容姿はよろしくないが、その分ものすごく頑張って青山に住めるような地位とお金を手に入れたのだと。

コンプレックスは素晴らしい。それを原動力にして、お金持ちになったり、美人な奥さんを手に入れることが出来るのだから。

外国に住むと、コンプレックスとはいかないまでも、ある種の負の感情が自分に宿る。毎朝のスペイン語レッスンでは「そんなことも覚えていないの?」と蔑まれ、宿題をやらねばという毎日のプレッシャーに耐えながら、仕事をし、飲みに行く。(僕は今年で37歳になるのですが、まさかこの歳になって宿題にプレッシャーを感じることがあるとは想像もしていませんでした。「宿題なんてやらない!」なんて豪快な人間になれればいいのですが、「宿題をやらなかったときのメルセデス先生のリアクションの怖さ」を考えるとリスクは取れません)

飲みに行けば飲みに行ったで、まわりはアメリカ人ばかりなので、彼らの話題についていけないことも多々あるし、常に外国人であるという「危うい立場」は変わらない。

このような状況を考えると、人がなんらかの努力をしようと思うのは、負の感情が原因になっていることが多い。コンプレックス、罪悪感、宿題をやらなかったときの恐怖・・・・・・色々あるが、やはりどれも「今日を楽しく精いっぱい生きていこうぜ!」的なお気楽なポジティブな感情とは正反対の負の感情だ。

どんな人でも意外と他人には分からない小さなことで悩みがあり、それが毎日の活力の要因となっていることもある。負の感情を負のままにしておいたら、なんのプラスにもならないが、それをうまく活力として、プラスに変えていくことをものすごく大げさ、かつ勝間和代さん風に言うと「クリエイティブに生きる」ということなのだろう。

そうして、今日も「くそったれ!」とか思いながらスペイン語の宿題をこなし、そんな思いをして習得しても日本に帰ったら「ブエノスアイレスに一年も二年も住んだらスペイン語なんてペラペラで当たり前だよねー」とかいう心ない人たちのことを思い浮かべて、心のなかで思い切り罵りながら、暗記に励むしかないのだろう。

Catedral03