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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

客観的な事実と主観的な事実の狭間で・・・・

スペイン語の勉強を初めて、すでに4ヶ月が経った。ようやく少しはこなれてきて、相手がこちらを外国人と認識してくれて、気を使って話してくれれば、だいたいのことは分かるようになった。ただ現地の人が普通のスピードでぺらぺらと話すと、何を言っているのかまだ分からない。

スペイン語の文法の勉強は佳境に差し掛かっており、文法用語でいうと直接法と命令法が終わり、今は接続法という文法を勉強している。スペイン語を全く知らない人にとってみれば、ワケが分からないかと思うが、スペイン語は「果たして、それが客観的事実か、主観的事実か」によって動詞の活用が違う。

そもそも、それが絶対的に主観的か、それとも客観的な事実かなんてことはかなりあやふやなのだが、文法上の決まりとしてあるので、そのルールに則らないといけない。

例えば、英語でよく「I want you to do 〜(私はあなたに〜をしてもらいたい)」という表現がある。これはスペイン語では、客観的な事実としてでなく、主観的な出来事として判断されるので、接続法というものを使う。

スペイン語の文法は、あらゆることについて、それが果たして客観的な事実か、それとも主観的な事実か厳密に判断する。例えば、「愛する」という言葉でも何種類かあり、「この人を一生涯愛していく」という場合は、「Amar(アマール)」を使うが、それ以外の場合は違う動詞という風に使い分ける。

(この愛は一生変わらないという前提でアマールを使い、ガールフレンズ・ボーイフレンド程度なら違う単語という風に使い分ける。ちなみに英語のBE動詞(is,are など)も恒常的な事実を表す「SER」と一時的な事実(場所・状態など)を表す「ESTAR」がある・・・・・ややこしすぎる!)

このように使う単語ひとつとっても、相手への気持ちが分かってしまうというやっかな言語でもある。

表面的な文法などはそれほど難しくないので簡単に学ぶことは可能かもしれない。しかし、その裏にあるこのようなある種哲学的な法則を理解して、その言語を使いこなすにはそれ相応な時間が必要なのだろうなと自覚している。

英語でもスペイン語でも、それに日本語でもそれが当てはまる。「わび、さび」が分からない外国人に日本語が本当の意味で使いこなせないと同じように、客観的な事実と主観的な事実を常に明確にしないと使いこなせない言語がスペイン語なのだろう。