本屋というものは、自分にとってはとても神聖な場所だったし、今でも「本を読む」という行為はとても神聖なことだ。
今日は「世界で二番目に美しい本屋(英国ガーディアン紙調べ)」に行ってきた。
元は劇場だった場所を本屋に改築したとのことで、非常に壮麗な建物だった。ただふと思ったのだが、自分たちの孫、あるいはもっとその後の世代に「本屋」という場所はまだ残っているのだろうか?電子書籍が紙媒体に取って代わることはすでに自明の理だが、それでも「本を読む」という行為が以前と同じように神聖な行為であり続けることが出来るのかふと疑問に思った。
FACEBOOKやスカイプのチャットをしながら「この古いロシアの作家、まじ訳わかんねー」とか言いながらドストエフスキーやトルストイを読んでも、自分たちと同じようにその経験が彼らの心に沁みわたるのだろうか?
「本を読む」という行為はとてもプライベートなことなので、それが新しいメディアによって台なしにされないか少し心配になった。
あと10年もしたら「まだ紙の本なんか読んでるの?ださっ!」と言われるかもしれないが、それでも手に入る限りなるべく本は紙で読みたいと思っている。