Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

より幸せな社会を構築するために:2006年ノーベル平和賞受賞をしたユネス氏を思い出しながら

腰痛になった。

なんだろう、この残念な響き・・・・

このあいだの日曜日に、朗らかな晴れ模様のブエノスアイレスで、優雅にテニスなんぞをしているときに「ピキッ」といったわけだが、翌日の月曜日はベットから立ち上げることさえ不可能だった。腰痛持ちの人にしか分からないだろうが、国際的に認められている腰痛レベル(嘘)でいうと、「ほふく前進レベル」だ。

原因は分かっている。下記二点だ。

1.めちゃくちゃ背が高い(192cm)

2.めちゃくちゃ体が硬い(コチコチ)

オスカー・ワイルドも言っているように「自覚していることはすべて正しい」という名言の通り、原因は自覚していたので、その対処策として毎日ストレッチは欠かさなかったのだが、それでも効果はなく、今回の緊急事態となった。

全く動けないので、ベットで三日間ほど寝たきりだったのだが、腰痛の場合は当然ながら外傷は全くないので、その激痛は人には伝わらない。そのあたりがじつにもどかしい。生涯でこれほどの痛みを感じたことがないほどの痛みを感じるのだが、傍から見るとただの動きの鈍い年寄りにしか見えない。(本人は真剣)

三日間ほどたゆまぬ激痛に苛むと、「人間って、自分が痛い思いや辛い思いをしているときは、人に対して思いやりなんぞ、持てないものなんだ」と心底思う。自分が激痛に苦しむときは「世界平和」や「ソーシャルビジネス」なんて単語は全く浮かばず、ひたすらこの痛みがいつになったらなくなるかだけが気にかかった。またそれと同時に、「果たして、本当にこの痛みは消えるのか?」という恐怖も手伝い、気が気でなかった。(一日の予定を丸々キャンセルするのも気が引けるし、さらに何も出来ないという事実が気を滅入らせる)

これから導き出される結論として、幸せ人だけしかほかの人に幸せを分け与えることはできないという事実だ。2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の講演に行ったことがあるのだが、そのときの「この人、神か!」と思えるほど圧倒的なオーラをふと思い出した。(その講演の様子はこちらから。感動的な話です)

自分自身がより幸せになることがひいては、ほかの人の幸せにも寄与する・・・・・なんというか、つべこべ考えずに人はもっと自分の幸せに対して貪欲になればいいのではと思う。それを突き詰めれば、結局はほかの人も幸せのほうが自分も幸せという結論にたどり着くのだろう。

あとにも先にもあれほどの圧倒的なオーラを纏った人に会ったのは初めてだが、自分も自分の幸せを突き詰めつつ、ほかの人の幸せの手助けも出来ればと願っている・・・・・腰痛が完治してからだけど。