Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

明日の自分に期待せず、今日を楽しみ、いつの日かに期待する

今、世間で言われている「習い事」と言われているものを3つほどやっている。

ひとつは言わずと知れたスペイン語である。これが今、一番プライオリティが高く、週5回から6回ほど習っている。次に30過ぎてから始めたテニスで、これも週二回ばかり習っている。そして、ブエノスアイレスに来てから始めたタンゴだ。これも全くリズム感がないながらも、なんとか続けている。

優先順位を表すと下記のようになる。

1.スペイン語

2.テニス

3.タンゴ

だが実際は下記が本当のところだ。

1、スペイン語

2と3がなくて、4がテニス

5. タンゴ

物事には優先順位がある。例えば仕事優先の人は、それ以外のものは一切目もくれずにただひたすらそれに打ち込むという人もいる。

また日本人がこぞって勉強する英語と違い、今自分が習っている3つのものはすぐに何か自分の人生に変化をもたらしてくれるものではない。

あるいは結局のところ、何ももたらしてくれないかもしれない。

では、なぜやっているかというと、楽しいからに過ぎない。

「いやー、ほんと、もうやめられない!」というような楽しみは一切ない。むしろ辛い。

実際、これらを習っている間、じつはそれほど楽しくなかったりする。

だが、たまに今まで自分が出来なかったことが出来るようになったり、数ヶ月前に比べて明らかに向上したと自分で思えると、それはそれで嬉しい。

結局のところ、自分の人生になんらかの刻印を刻みつけるのは、そういう不確かな何かをものしたときではないだろうか。はっきりとした効果も分からないし、自分たちが費やした時間と努力に比例して、どれほどの成果を得たかも目に見える形ではっきりと証明出来るわけではない。

いかに毎日単語を100個覚ていると言い張っても、外国人に話しかけられて、「うごうご」言ってしまったら、周りの人からは「この人、ダメな人」というレッテルを貼られてしまう。(ちなみに僕なんかは、スペイン語ではもちろん、日本でもだいたいカミカミだ)

それぞれのレベルで、それぞれに応じた形で、それを形にすればいいのではと思う。周りから評価をされたくて、「習い事」をやっていても意味はない。きっと日本に帰ったら「スペイン語、話してみてよ!」と軽く言われて、「メンドセー」と思いつつも彼らをなんらかの形で納得させないといけないかもしれない。

別に彼らに認められたくて、自慢したくてスペイン語を習っているわけではない。またついでに言うと、誰かに何かを自慢したくて生きているわけでもない。

自分自身が欲しいものを手に入れ、その過程をなるべく楽しみ、そしてあわよくば何らかの貢献を次世代のためにしたいがために生きているわけだ。

明日のためにというよりは、何年後かの自分を想像しながら、こうありたいという自分になるべく近づけるために今日を生きている。そして、その過程すら笑いながら楽しみながら、充実させたいと願っている。