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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

言語を学ぶということについて:大いなる勘違い

最近、ネットで多言語を操る人たちのビデオを見る機会が増えた。

このビデオが面白いなと思ったのは、アイルランド人と黒人(アメリカ人)の二人が、ショッピングモールに行って、見知らぬ外国人(主に移民の人たち)にその国の言葉で話しかけて、スピーキングの練習をするというアイディアだ。

カンボジア人とベトナム人のカップルに話しかけて、彼らの言葉で話しかけると、そんなことを予想だにしていなかったそのカップルは本当にびっくりしていた。

多言語を操る人たちのことをポリグロットと呼ぶらしいが、10言語以上もの言語を覚える意味はあるのかなとふと思ってしまった。ただ単純に趣味としては面白いかもしれないが、そんなマイナーな言語を操るモーゼスさんほとんどそれらの国に行かずその国の言語をマスターしているらしい。

趣味としては高尚な趣味だと思うが、全く自分のアプローチとは異なるなと思った。19歳のときにスコットランド首都エディンバラに留学したときは、それまでに英国文化にすっかり浸っており、UKロックを毎日聴き、オスカー・ワイルドの文学に慣れ親しんでいたので、自分にとってイギリスで英語を学ぶに行くのはとても自然なことだった。(アイルランドに行く選択肢もあったけど、前年にエディンバラを旅してすっかり気に入ってしまったので、エディンバラを選択した)

今、スペイン語を学んでいるのは、たまたま来たブエノスアイレスという街がすっかり気に入ったので、ここに住んでいる人たちの文化や政治、それにしきたりを学ぶにはスペイン語という言語を欠かせないから学んでいる。

言語が生成された過程には文化、歴史などを入り混じり、そのバックグラウンドには膨大な領域が広がっている。それを感じ取りつつ、イディオムやスラングなどを学ぶと、彼らの精神に少し触れた気になる。

だから「フィリピン英語」「インド英語」ととやかく言う人たちのことが理解出来ない。もうそれらは、例えば「イギリス英語」「アメリカ英語」と切り離された文脈に語られるべきであり、別次元の話しだ。

もちろん、訛りなどや発音などなくなるべくスタンダードな英語を英語学習者は習うべきでだ。だが、そういう意味ではアメリカ人、イギリス人、フィリピン人などはほぼ同等な立場に立っている。(フィリピンの貧富の差は激しいので、まともな英語を話せるのはある程度裕福な家庭で育った人たちに限られるが・・・・だが、アメリカなんかも、ぶっちゃけそれは同じだ)

言語だけを学びたいならば、フィリピン人のオンライン英会話で学べばいいし、留学するにもわざわざ高いアメリカやイギリスに行くことはない。フィリピンで十分だと思う。

そして、今求められているのは世界で活躍するためのコミュニケーションの道具としての英語であり、それ以上のものではない。

そのことを勘違いしている人たちが多すぎる。

しかし、理想を言えば、留学する時間があればまずはフィリピンに留学して、ある程度コミュニケーションが取れるようになってからアメリカなり、イギリスなり自分の興味のある国に行くことをお薦めする。そのほうが費用対効果は断然高い。(もちろん、フィリピンだけで済ますという選択肢もありだけど、イギリスなどに行くと特に色々な人種がいて、面白い経験ができます。フィリピンもそのうちそうなる可能性は大だけどね)