Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

人は踊りたいから踊り、歌いたいから歌う:ラテンな生き方について

南米の人たちを見ていると、本当に人生楽しそうだなと思う。

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外国語を学ぶ楽しみのひとつに、違う価値観を持つ人たちと交じり合って新しく色々と発見するということがある。外国語、特に英語を学ぶ人たちのなかには、「ただ英語を学ぶため」に英語を学んでいる人がいるが、もったいない話だ。

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最近、Polyglot(多言語を話す人々)のブログを読んで思うのだけど、特に普段使うことをない言語をいくつ習っても意味はない。正直、英語さえ話せれば、世界で生活することは出来る。ただ、より生活を楽しもうと思った時に、その土地の言語を覚える必要があるのだ。

「生活だったら、召使いでも出来る」とある19世紀の文豪が言ったが、たしかにそのとおりだ。ただ起きて、食べて、寝るだけの生活にはさして意味がない。特に先進諸国に生まれてきた日本人は、それ以上のなんらかのことを、この世界に寄与することが求められている。

Paraja01

とか難しいことを考えても、無邪気に楽しそうに踊り狂うアルゼンチン人やコロンビア人たちを見ていると、こちらも楽しくなる。きっと彼らの生活には、日本が経済発展のために犠牲にした、「豊かさ」があるのではと最近、とみに思うようなってきた。

日本ではやたらと難しいことを語る人たちが多いが、自分の生活を楽しんでいる人をあまり見かけたことはない。こちらでは、難しいことなんて誰も語らないが、多くの人はより生活を楽しんでいる。人に馬鹿だと思われようが、理解されまいが別にどうでもいいことだし、隣の国が「この島、おれのもの」と言ってきても、個人的にはどうでもいい。

周りの人たちが生活を楽しく送り、自分が起こした事業で多くの人たちが、それまでの生活をより一層楽しんだり、個人的な成長を遂げたりするのを見ることが自分の楽しみである。みんな国とか、会社とか、家族とか大きなフレームで考える前に、「自分」という最小ユニットで考える癖をつければいいと思う。

結局ところ、人は自分が見ている世界で生き、それは案外そのひとだけの世界であり、ほかの人たちは違う世界に属していたりするわけだ。だから、僕たちはきっと永遠に完璧に分かり合えることはない。そのことを前提に外国語を学んで、異国の土地で生活し、へらへら笑いながら楽しく生きていくことは意外とスキルがいる。(見かけは同じだけど、考え方が全然違うと日本ではかなり生き辛くはありますがね)

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明日の自分が今日よりもより良き存在になっていることを祈りつつ・・・・・それにしても、南米の人たちは酒も飲まずに、コーヒー片手に人様の家で夜の8時から楽しそうで踊れるなと思う。

ほんと毎日、新しい発見があるものだ。