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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ゾンビ映画を哲学的に語ってみた:ウォーキング・デッドに寄せて

悲劇は人生をより一層慈しむためにある舞台装置だと看過したニーチェが「悲劇の誕生」という本を、恐ろしいことに若干28歳の時に書いた。

分かりやすい例で言えば、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」が挙げられる。

想像して欲しい。

あの二人が死なないまま、「いやー、やっぱ老後が人生の最高のときだね、ダーリン」とか言い合っていたら、なんの盛り上がりもない話しになってしまうだろう。

」という舞台装置があってこその「ロミオとジュリエット」であり、悲劇であるからこそ永遠に語り継がれるべき物語なのである。

そこでゾンビだ。

ゾンビ映画は死んでから、悲劇が始まる。

愛する人、愛する家族が変わり果てた姿で、あなたに襲いかかる様を想像して欲しい。

まさしく、それこそ悲劇である。

だが、たいていのゾンビ映画はそんなことよりも、ホラー的な要素が強いか、グロテスクな描写に走るかに過ぎない。

近年、非常に良く出来ているゾンビ映画と評価出来るのは、「ドーン・オブ・ザ・デッド」と「28日後」が挙げられる。

いきなり最初のシーンで最愛の人たちを失くすなり、やたらと足の早いゾンビに追いかけられるという新機軸を打ち出した「ドーン・オブ・ザ・デッド」は衝撃的だったし、「スラムドッグ・ミリオネア」でアカデミー賞を受賞したダニー・ボイルが監督した「28日後」は人っ子1人いないロンドンの映像だけでも見る価値がある非常にスタイリッシュな映画だった。

そうして、ようやく本題である「ウォーキング・デッド」の話になる。

このTVシリーズは、ゾンビものでしか表現できない「最愛の人がゾンビとなった場合、あなたはどうするか?」という深遠なテーマを軸に展開されており、また「人間にどうしてそのような試練を、神はたまわしたのか?」という疑問をわれわれに突きつけている。

そして、随所に当然、観客をどきっとさせるような仕掛けが満載であり、非常に飽きが来ない素晴らしいゾンビものになっている。

ニーチェは「死」こそが悲劇の最大の舞台装置と考えたが、「ウォーキング・デッド」ではその考えをさらに発展させ、死してもなお悲劇は続き、そしてその不幸はまわりに拡大する。

この物語に果たして救いがあるかどうかは分からないが、ゾンビという特性を活かせば、ニーチェが看過した「」という舞台装置がより一層効果的に使うことができ、物語がより悲劇性を帯びるということを証明してくれた傑作であることに間違いない。

ブエノスアイレスゾンビ映画研究会 会長(嘘)