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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

自分のなかとそとにあるデーモンについて:創造力について考える

今日の朝、FACEBOOKを見ていたらスウェーデン人のマルカスが、ニューヨーク・タイムズ村上春樹についての記事に「いいね」ボタンを押していたので、読んでみた。

THE HARUKISTS, DISAPPOINTED

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スウェーデンのことを思い出すのは、ノーベル賞のときぐらいだが、例年のごとく村上春樹ノーベル賞最有力候補と言われ、例年のごとく今回も落選した。

べつにそんなことに興味はない。だが、この記事にあった彼がインタビューのたびに語っている小説を書く時のプロセスはとても興味深い。

“When I write novels, I have to go down into a very deep, dark, and lonely place,”

(僕が小説を書くときは、とても深いところ、寂しくて暗いところに潜らないといけません)

“And then I have to come back, back to the surface. It's very dangerous. And you have to be strong, physically and mentally strong, in order to do that every day.”

(そして、そこからまた地表へと戻らないといけません。それは本当に危険なことです。そして、また肉体的にも精神的にも強くないと、毎日それを行うことは出来ないのです)

そうして、彼は日の出とともに起きて、毎日ジョギングをし、陽が登り切る頃には、その仕事を終えているのだろう。

だけど、「食べて恋して祈って」の作者であるエリザベス・ギルバートはTEDの講演で、創造力は大昔、デーモンや妖精のような外部のエネルギーによってもたらされており、人間が持つ内部の力と考えられていなかったと指摘している。

そして、そのほうがいいじゃないかと。

ちょっと調子が悪くていい作品が書けなくても、デーモンや妖精の働きが悪かったせいで人間が悪いわけじゃないから・・・・・われわれ人間に出来ることは、毎日きちんと自分がやれることだけやれるだけだと。たまに目に見えない神か妖精か何か訳が分からないものが手助けしてくれたら、それはそれでラッキーだけどねと。

個人的には村上春樹のスタンスには一ミクロンも共感出来ないが、彼女の考え方には共感出来る。

正直な話し、報われない努力のほうが報われる努力よりも圧倒的に多い。比率的に言うと10対1ぐらいではないだろうか。でも、だからと言って努力をすることをやめるのもお門違いだ。

われわれは自分たちが出来ることを毎日行い、あとは天の配分次第ということなのだろう。僕らはどう向き合っても毎日日の出とともに起きて、体を清めるがごとくジョギングをし、毎日自分のデーモンと向き合って仕事をすることは出来ない。

食べ過ぎたり、飲み過ぎた翌日は、たっぷりと朝寝坊したいし、毎日ジョギングなんてしたくない。でも、それでも自分の役割だけはきちんと全うし、少しでも前進し、人類の進歩とやらには貢献したい。

創造力を自分のなかに置こうが外に置こうが、結局は同じことかもしれないが、成功したら運が良かったと思い、失敗したら自分の努力が足りなかったと思って生きていけばいいじゃないか。