メキシコシティに着いて、二週間経ったが、特に観光もせずに過ごしたので、イタリア人のフレデリックとともにメキシコシティ近郊にある巨大遺跡テオティワカンに行ってきた。
メキシコシティに長年住んでいるフレデリックの姉からの「テオティワカンに行くなら、なるべく朝早くに行ったほうがいい」というアドバイスのもと、「Autobuses del Norte」というバスターミナルのある地下鉄の駅に朝8時半に待ち合わせた。(コンデサ地区からだと、地下鉄を乗り継いで、30分くらいのところです)
そして、片道40ペソ(300円くらい)のバスチケットを買って、1時間かけてテオティワカンへとやってきた。
正直、そんなに気合を入れて朝早めに行ったところでどうってことはない遺跡である。
ただメキシコの国力を示すものとして、非常によくメンテナンスが行き届いており、観光しやすい遺跡ではある。カンボジアのアンコールワットなんて、いまにも崩れ落ちそうなところが何箇所もあるが、テオティワカンはもちろん、そんなことはない。
しかし、当然のことながら、エレベーターなどはなく、階段で登り降りをすることになる。たかが遺跡のためにだ。昔、中国の万里の長城を登ったが、たまたま知り合ったアメリカ人が歩いていけるところは、端から端まで行くという人だったので、辟易した記憶がある。
人はなぜ遺跡を登り降りしたいのだろうか?
見るだけでいいのではといつも思ってしまう。
朝早く着いたこともあり、12時くらいにはすべての遺跡を見尽くしてしまい、近くのレストランで食事をして、帰路についた。
メキシコシティにも、そしてブエノスアイレスにも言えることだが、観光する街ではなく、住む街だなということだ。ただぱっと通り過ぎるよりも、なるべく長くいて、深く潜ると、色々と知ることが出来る。
ブエノスアイレスに着いた頃も、すべてが目新しく、わくわくしたが、2年も住むと、正直嫌なことがたくさん目に付く。おそらく、同じことがメキシコシティにも起こるかもしれないし、また起こらないかもしれない。
ただひとつ言えることは、この街に出来る限り長く居て、自分なりの結論が出るまで待ってみようと思っている。いつも思うが、「決断」はするのではなく、待つものだからだ。
そうして、決断が訪れれば、次の行動を移そう。それくらいの余裕を持って、この街に接していきたい。