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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

世界の富裕層である日本人について:メキシコシティにて

最近、ふと身の回りのメキシコ人、外国人を見渡して気がついた。

そのほとんどが富裕層かエリート層に所属している人たちであることに。

メキシコで一番仲の良いアビマエルは、メキシコでトップの大学を学費免除の特待生として卒業し、今はオラクルに勤務している。そして、悪友のメキシコ人アレックスは、メキシコ・ムスタングの社長だ。そして、ほかにも各国の大使館に勤務している友人が複数名いて、最近知り合ったボリビア人は精神科医とバレエの先生という2つの顔を持っている。(ちなみに父親ボリビアで脳外科医をしているらしい)

あとは弁護士、医者など典型的なエリート層が多い。

ブエノスアイレスでも、これほどのエリート層と知り合いではない。

(アルゼンチン人のマウロくんは、次期大統領候補ゴッドファーザーとする正真正銘のエリートだが、彼以外にそんな友人はいない)

ただこれはある意味、必然なのかもしれない。

日本人がまだ発展途上国であるメキシコ、アルゼンチンあるいはフィリピンなどに行った場合、世界観や価値観が合う人たちはごく限られている。

30歳そこそこのフィリピン人の先生たちの面接をするとき、よく質問するのが「今までの人生のなかで最高の経験は?」という質問だ。そのときよく耳にするのが、彼らの海外体験だ。いわく「マレーシアやシンガポールに行って、海外というものを肌で感じられて感動した!」というものだ。

自分たちの世代では、10代の頃から海外に行くのは当たり前だし、自分自身にいたっては18歳のときにヨーロッパ一人旅を経験している。そんな自分からしてみれば、シンガポールやマレーシアに行くのは、日本国内を旅するような感覚しかない。

もちろん、自分はかなり極端な部類に入る。そのあと19歳で一人スコットランドに留学するときに、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断しているし、インド一人旅3ヶ月というものも20歳のときに経験している。そして、今や定住先を持たない世界をふらふらしている旅人だ。

それでも時々、「オンライン英会話スクールを経営している」「ブエノスアイレスに2年住んだ」などと言ったときに、その言外に含まれる意味を感じ取れる人たちと全く感じ取れない人たちがいることに気付かされる。90%の人たちは後者だが、例えばアビマエルのようにその意味を鋭く感じ取って、何かを吸収しようとする人たちがいる。

先に挙げた国のなかでは、メキシコが一番そういう人たちが多い。フロンティアスピリッツを持ちあわせているし、これからどんどん自分たちの国は良くなるという希望を抱いている。

自分には日本に生まれたという強烈なアドバンテージがある。おそらく彼らの境遇、そして今までの努力と比べて、自分の努力はまだまだ微々たるものと感じる時が多々ある。彼らは今のポジションを勝ち取るために多くの戦いに挑み、そして勝ち上がってきた。

日本人である自分は当たり前のように海外旅行をし、そしてバイト代を貯めれば海外留学だって出来た。そんな豊かな国に生まれた自分を自覚し、これから出来ることを増やして、この世界に貢献していきたい。