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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

そして父になる:奇跡について

19歳のときに、是枝裕和監督の「幻の光」を見た。

しょっぱなの街灯が写っているシーンで、すでに名作だと思った。

それからずっと彼の作品を見続けているが、「幻の光」を超える作品を作るのは無理なのではないかと思っていた。

でも、是枝監督は「奇跡」という映画を作った。映画好きにはたまらない映画だ。

映画は歴史だ。

というかあらゆる芸術はすべて歴史を反映しないといけない。過去作られたあらゆる作品を上回れるかどうか、ということが芸術家には問われるのだ。

村上龍が文学を志したのは、「音楽ではけっしてビートルズを超えることはできないから」という理由だ。それはある意味正しい。

でも、彼はドストエフスキートルストイなど並みいる文豪を彼なりのやり方で超えられるとは思ったから文学を志したのだろう。そして、それはある意味、成功しているとは思う。

コインロッカー・ベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」それに「希望の国エクソダス」はその時代を反映しつつ、その時代でしか作られないものでもあり、またなおかつその時代を超越している。

「奇跡」という作品が素晴らしかったのは、それまであった映画の文法を捨てて、前田兄弟という素晴らしい素材をもとに、彼らを映画の共犯者に仕立てて、映画を超えたところで映画を成立させたことだろう。

たとえば、北野武が映画を解体して、新しく映画の文法を彼なりの解釈で作り直し、「ソナチネ」を作り上げ世界をあっと言わせて、それをさらに昇華させて、ひとつの映画の完成形を「HANA-BI」で見せたように。

(「HANA-BI」公開当時にはロンドンに住んでいたが、あのTimeoutをして、「ロンドンという街で今上映されているただひとつ映画史上に残る傑作」と評されていたことをいまだに覚えている)

幻の光」が映画のひとつの完成形だったように、「奇跡」もまた映画のひとつの完成形だった。

だから、そのあとに作られた作品である「そして父になる」はどうしても見たい作品だった。

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前評判が非常に高く、またカンヌで審査員賞を受賞しいるので否が応にも期待感は高まった。

しかし、見て正直、なんとも思わなかった。

自分の判断がおかしいのかと、英紙ガーディアンの辛口映画評論家のPeter Bradshaw氏の批評を読んでみて、なるほどと納得した。(ちなみに彼も大の是枝ファンだ)

Like Father, Like Son – review

いわく「but however well acted, the film has a black-and-white assumption(どんなにうまく演技されていても、結局のところ最初から白黒と決着が着いている)」と言っている。

是枝作品のいいところは、白黒はっきりと映画自体では何も言わず、観客任せにしているところだ。それがこの作品には決定的に欠けている。

だからこそ、「奇跡」は素晴らしく、また「幻の光」は全く違った意味で情緒豊かで心に響くのだ。最初から答えの分かったテストなど意味がないように、やたらと評判が高いこの映画「そして父になる」は最後まで見続けるのがとても苦痛な映画だ。

もちろん、これは是枝監督のファンだからこその意見といえる。

特になんの先入観なく見たら、もっと素直に感動していたのかもしれない・・・・・ただ個人的な意見としては、「生みの親より育ての親」と思っているので、主人公の心の動きには共感は出来ない。

題材が題材なだけにもっとコミカルな要素をふんだんにいれておけば、楽しめたかもしれない。

悲劇な結末な「誰も知らない」ですら、もっと映画的で楽しい瞬間があった。

子役が前田兄弟ほどの魅力もなく、唯一の救いがリリー・フランキーさんが出ている場面か・・・・まったく芸達者な人だと思う。完全に福山雅治を演技で食っているし。

結論的には、「奇跡」を見ていないのであれば、マストで見るべきかと。

(「パッチギ!」でもそうだったが、ダメ男を演じたらオダギリジョーの右に出るものはいない)

コアな映画ファンも楽しめるし、またそうでなくても娯楽作品として非常に完成度が高い。世の中は悲劇や重厚なテーマの作品を評価しすぎる傾向があるが、こういう作品こそもっと評価されてしかるべきだと思う。