Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

シンクロニシティー

プノンペンには見るべきところはない。
多くの旅人が素通りしてしまう場所だ。

cambodia

それなのに僕は二日も滞在した。
時間を節約するためにわざわざ飛行機でバンコクからシャムリアップまで行ったのに、そんなことは意味が為さないものになってしまった。
もちろん、後悔などしていない。

ゲドゥとはプノンペン行きのボードで出会った。
彼はドイツ人の元エンジニアで東南アジア周遊の旅に出て、すでに一週間が経っていた。
今回の旅で五週間ほど東南アジアで過ごした後、一旦ドイツに帰り、それから世界一周旅行へと出るという。

なんでも最初の目的地は東京に決めているらしい。
だから日本人である僕に興味を持って話し掛けてきたのかもしれない。

ボートから降りた僕たちはトゥクトゥクに乗って、同じホテルに部屋を取った。
彼はすべてのドイツ人がそうあるべきかのように、慎ましくまたシャイだった。

部屋で一休みしたあと、近くのチャイニーズ・レストランで遅い昼食を取った。
そして、そのあとプノンペン市内を一緒に散歩した。

その道すがら色々なことを話した。
ゲドゥはエンジニアという仕事自体に嫌気がさし、仕事を辞めて旅に出ることにしたという。一年ほど世界を旅した後、また全く違う職に就くつもりだと淡々と語った。

そういうのもありだなー、と思った。
僕ももっと若い頃、真剣に世界一周旅行に出ることを何度か考えたことがある。
でも今の今まで実現に至っていない。
それはきっとゲドゥみたいに自分の周りの世界に死ぬほど嫌気を差したことないし、また反対によその国にそれほど大きな希望を抱けなかったことが原因だろう。

日本には執着に似た愛情を感じているし、なんだか居心地悪いのが居心地いいという逆転現象が起きている今日この頃だ。

彼の人生は全くのゼロで、僕は正直羨ましいと思った。
ゲドゥは40歳近くなっていたが、そんなことはお構いなしだった。
僕もそのぐらいの年齢になって、果たして自分の人生をリセットする勇気があるだろうか?願わくは、今ほどこの現在というものに執着せずに、淡々と生きていたいと思う。

僕たちはそのあとバーを転々とし、夜中の三時まで遊び歩いた。
本当は翌日にはお互いプノンペンを出るつもりだったが、あっさり計画は頓挫し、そのまた次の日へと繰り越しになった。

翌日、さすがにこのままバーを渡り歩くだけではプノンペンに来た意味がないと思った僕たち二人は、観光をするためにプノンペンの中心に位置する王宮へと向かった。
しかし、その印象はアンコールワットのあとでは余りに薄く、僕たちは涼しいところ、つまるところまたバーへと向かうことになった。

プノンペンはとにかく暑かった。
アンコールワットがあるシャムリアップも暑くはあったが、これほど強烈に暑さを感じることはなかったように思う。
それはおそらくプノンペン自体に僕たちのモチベーションを高める何かが欠けていたこともある。
歩くよりはどこか涼しいところで休むことを選んだ。
それがプノンペンという街だった。

マッサージで体をほぐし、メコン川ほとりで散歩しながらまたお互いのことを話し合った。

僕は彼ほど人生を割り切れていない。
なんだか中途半端な感じだ。
やりたいことは山ほどあるが、どれも徹底していなかった。
それがきっと僕が日本に留まり続ける最大の理由かもしれない。

旅に出るのは簡単だし、人生をリセットするのも簡単だ。
かといって、一つの場所に留まり続けるのもそれほど難しくはない。

結局のところ、どこへ行こうがどこに住もうが関係ない。
生き方の問題だった。

僕たち二人は自分の国から遠く離れたカンボジアの首都であるプノンペンという土地で出会い、幾ばくかのときを共有して、お互いまた違う土地へと向かった。
きっとこれから何度もこういう出会いを繰り返すだろう。
その度に僕は人生における偶然というものに感謝し、自分の人生になんらかの意味を見出すことができる。もしかしたら、そのために僕は旅に出るのかもしれない。