Keep My Word

19歳から旅を始めて、スコットランドで英語を学び、アルゼンチンでスペイン語とタンゴを学び、メキシコではサルサをかじり、オンライン英会話/スペイン語スクールを運営している男のブログです。海外滞在歴10年、50カ国ほどぶらぶらしました。

今さらながらロード・オブ・ザ・リング2について考える

ロード・オブ・ザ・リング2」が好きだ。 1でもなく、3でもない2だ。正式タイトルは「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」だ。

2002年に公開されたときに見たので、もう12年も前に見た映画になる。

当時から「「ロード・オブ・ザ・リング2が好き」と言っても誰の共感も呼ばなかった。 「なんで?」となったので、あまり公に「好きだ」と公表することもなくなった。

この映画が好きなのは、「光と闇」という宮﨑駿の映画でも一貫して取り上げられるテーマを取り扱われているからだろう。

究極の善人であるサムが悪と善の心に揺れ動くフロドをひたすら励まして、指輪を運ぶ姿はとても感動的だった。

サムは「どんな絶望の底でも、そして自分の行く先が漆黒の闇に包まれていても、けっして希望を捨てるべきではない。たとえ自分たちがそこにたどり着かなくても、自分たちのあとの世代がその幸せを手に入れるかもしれない。だからけっして自分たちは諦めてはいけないのだ」とフロドに説く。

そして人間の王アラゴルンは固く閉ざした門を破られて絶体絶命になった際、ガンダルフの「夜明けまでには戻る」という言葉を思い出して、ローハンの王を焚きつけ、「自分たちは逃げてばかりだ。今こそ打って出て戦うべきだ!」と叱咤激励する。

そうして、落城寸前の城の外へとなんとか打って出ると、朝日の光を浴びたガンダルフとゴンドールの軍勢が丘を駆け下り、敵軍を一網打尽にしていくというストーリーだ。

これだけ聞くと、なんともしょぼい話になってしまう。 それもそうだ。 ロード・オブ・ザ・リングなんて、所詮は「指輪を山へと捨てる話」なのだから。

でも、その頃の自分にとってはとても共感出来るものがあったから、感動したのだと思う。今、見てもそれほど感動するかは分からない。

絶対に勝てそうにない強大な敵に立ち向かっていく機会なんて、現実世界にそうそうない。いまどきの戦争ですらロボット化されて、遠隔操作でバタバタを人を殺しているから、「人を殺す」なんて感覚もないだろう。

多くの人にとって敵とは、融通の効かない上司であったり、理不尽な客だったりクライアントだったりするわけだ。そんなものに勇猛果敢に立ち向かっても時間の無駄だったりする。変わらない人は変わらないし、そういう人たちが素直に言うことを聞くのであれば、最初から苦労しない。

でも、こうも思う。 少しつづでも、みんなが分け合って戦う必要があるのではと。

サムの言うとおり、自分たちの世代では勝てないかもしれないし、世の中は良くならないかもしれない。でも、きっと諦めたら、そこでゲームオーバーなわけだ。だから、一人でも多くの諦めの悪い人間が人類には必要だ。

世の中は放っておいても良くなるというのが幻想で、放っておけば、どんどん悪くなる。 だから、きっと少しづつでも小さな戦いに勝つ必要があるのだろう。

人の善意があるところには必ず悪意が潜み、その逆もしかりだ。

風の谷のナウシカではないが、「闇があるからこそ光も存在する」ということだろう。絶対的な善や悪に見えるものでも、どこかにその逆の要素が潜んでいる。殺人事件に一番多いのが、近親者によるものということがその多くを物語っている。

どんなに絶望的な状況でも、みんなが力を合わせれば強大な光となり、その闇にも打ち勝つことが出来る・・・・というのがこの映画の教えなのだろう。きっとこの地球上のどこかに、いまも必死で戦っている人がいる。

微力ながらも自分もその戦いに参加して、より良い世界というものを目指していきたい。