メキシコの漁師という有名な話がある。
要約すると、アメリカ人がメキシコの小さな漁村に住むメキシコ人に、「もっと働いて、たくさん魚を釣って、船団を率いるようになって、会社を大きくして、株を公開して億万長者になればいい」と諭す。しかし、メキシコ人はアメリカ人に「大金持ちになったあとはどうする?」と訊くと、アメリカ人は「小さな漁村で朝はゆっくり起きて、家族と過ごし、ワインを味わいギターを弾きながら友達と過ごす」と答える。
まさにそのメキシコ人が今送っている生活だ。
でも、人生は結果も大事だが、そのプロセスも大事だ。それに選択肢を持っている人間と選択肢がない人間ではおのずとその結果も違ってくる。個人的には南国でゆっくりと過ごす一生よりも、せかせかしながら世界中を旅して、苦労しながら事業を営むほうが幸せだと思う。
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プラヤ・デル・カルメンからバスで一時間ぐらいのところにあるトゥルムという街に行ってきた。 まさに楽園のような光景が広がっている。
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完璧な光景だ。 毎日、こんな光景を見ながら生きていけたら、それはそれでとても幸せだろう。
でも、脳の筋肉が弛緩して、すっかり馬鹿になるだろうなとは思う。 ここでは流れている時間が違う。
とてもゆっくりな贅沢な時間が流れている。 時間とは、絶対的なものではなく、きわめて相対的なものだ。
ここの磁場ではせかせかしている人のほうが馬鹿に見える。
人の幸せもまた相対的なものだ。 人それぞれ違う幸せのカタチがある。
毎日、カリブ海の綺麗な海を見ながらぼーとして、漠然とした幸せを感じる人もいるし、自分のように余計なことに色々と首を突っ込んで生きないと、「ライブ感」を得られない人間もいる。
人はそれぞれ自分なりの自分の人生の完成形を目指せばいい。 最後は、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」のように一番大事なものは、最初の出発地点にあるのかもしれない。
でも、きっとそれでも世界中を駆け巡り旅をすることに意味がある。 きっとアメリカ人はメキシコの漁師に最後にこう言えばよかったのではないだろうか?
「それでも、きっと価値がある」と。 人生とは、壮大な徒労であり、苦労しただけ報われることもない。
でも、それでもきっと価値はある。