Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

意味のない人生の素晴らしさについて

人生に意味はない。
人生に意味を求めるのは危険だ。

意味とは何か?
それは、あくまで自分や他人の意見の反映であり、しょせんは感情の産物だ。

人生は事実の連続であり、結果の連なりである。
それ自体に意味はないし、結果があるからといって、目に見える、理解できる原因があるとは限らない。

だからこそ、人は意味を求めてしまうのだろう。

逆説的に言えば、人生に意味はないからこそ、意味があると言える。
意味がない代わりに、人は自由だ。

宗教の話をしよう。
あらゆる宗教は、ある男たちの人生の拡大解釈と言える。

彼らの多くはとっくの昔に死に絶え、われわれに残されたのは彼らの物語だけだ。それも多くは彼ら自身が残したものではなく、後世の人たちのあとづけにしか過ぎない。彼らが実際に「何をしたのか?」ということに関しては、永遠にわれわれは知ることが出来ない。

でも、彼らも繰り返し、「今を生きろ。この瞬間を大事にしろ」と説いていたが、人は人生に意味を求めて、その言葉の真意を曲解してしまった。

今、起こっていることに意味はない。ただ事実があるだけだ。事実から導き出す判断が重要で、その事実に対して意味を求めても、仕方がない。いつまで経っても、同じところに留まり続けることになるだろう。

人生に意味はない。
人生は時に残酷だし、どうしようもない悲劇的な出来事を引き起こす。

911では人は意味を求めた結果、戦争を引き起こし、その結果ますます貧富の差は広がった。311のあとは、人は原因を求めて、反原発を声高に唱えて、経済に深刻なダメージを与えた。ときに意味や原因を求めると、人生そのものの価値を損なうことになるのだ。

人生という監獄から抜け出すためには、そこに意味を求めることを止め、すべてを受け入れて、それから判断することだ。目の前に起こっていることだけに注視し、そこから未来を予測し、自分にとってベストな判断を導き出せばいい。そして、新しく引き起こされた結果に対して、それを受け入れ、それからまた新しい判断を下す。人生はそのことの繰り返しだ。

人生に意味が入る隙間はない。