Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

結局のところ、人はほかの人からしか学ぶことが出来ない

結局のところ、人はほかの人からしか学ぶことが出来ない。
他者に対して何をしたか、どのように彼らと接したかによって、人は成長できる。

そして、言い方を変えれば、人はほかの人たちに感謝の気持ちを持つことによってのみ、自分自身を成長させることが出来るのだ。

すべてを当たり前のように受け取っている限り、その裏に隠された真意や意味を汲み取ることが出来ない。何もかもは考え尽くされ、相手が親身になって接している場合は特にそうである。

友だちや家族に親切にすることは簡単だし、当たり前だ。でも、人間の真価が問われるのは、赤の他人に対していかに親切に出来るかだ。彼らに与えても、何も見返りがないと分かっていながら与えることが出来るのは、豊かな人間の証拠だと思う。

旅をしているとそのことを痛感する。

自分のこのような考えの原点になっているのが、19歳の時にシベリア鉄道に乗った時、同じコンパートメントになった中国人の張(ジャン)くんのおかげだ。彼は当時24歳でロシアで技師として働いており、彼は中国からロシアに戻る途中であり、僕はスコットランドに語学留学する途上だった。

英語を話せない僕たちは漢字による筆談によって、多くのことを話した。何も知らなかった僕は何の食料も飲み物も持ち込まなかったが、シベリア鉄道を使い慣れた張くんは大量のカップラーメンとお茶とともにシベリア鉄道に乗り込んでいた。そして、こちらが何も言うこともなく、当たり前のようにすべての食料と飲み物を分け与えくれ、面倒を見てくれた。

恩着せがましくもなく、さぞそれが当たり前のように振舞って、僕を歓待してくれた。僕たちが過ごしたのは合計4日間だったが、お互い今後二度と会うこともないだろうことは容易に想像出来た。インターネットもフェースブックも出来る前の話だ。

多くの人は知らないと思うが、中国には「ゲストを歓待する」という美しい文化があり、彼も丁重に僕をもてなしてくれたが、その接し方が本当に心地よかった。何も食料や食べ物をくれたから彼に感謝しているわけではない。彼の僕に対する接し方があまりに心地良く、気持ちが良かったのだ。

それから20年近く経ったが、いまだ僕は彼の域には達してはいない。いまだ彼ほど豊かな人間にはなれてはいないと思う。

でも、なんとなくだが、あともう少しのような気がする。もっとあらゆることに余裕が持てたら、ほかの人たちの反応を気にすることなく、ただ与えることが出来る人間になれるような気がする。

人は与えることによってのみ学ぶことが出来、またさらに成長出来る。自分が出来る限界まで与え、そうして自分の限界をさらに広げることが出来るから。

自分の持てる知識や経験をあますことなく与え、時には持っているお金や食料も与え、そうすることによって自分を成長させ、さらに多くのことを与える人間になれる。

与えても与えても、尽きることがないほど豊かな人間になりたい。