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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

人口5%のなかで:ソーシャルビジネスという考え方

メキシコ人にとって、「デジタルマーケティング」や「ソーシャルメディア」というものは新しいらしく、ウキウキした感じで「ツイッター知ってる?」とか訊いてくる。そして、毎月8000ペソ(約7万円)払えば、一日10ツイートして、さらにはフェースブックにも色々とアップしてあげるという提案をされる。

死者の日(死者の日の飾りだ。11月初めになると、街中いたるところで飾られる)

これでも良心的な価格らしい。 大手のマーケティング会社はその倍は請求するとのことだ。

デジタルの世界ではすべての結果は可視化される。 ツイッターのツイートは個別のURLがあるので、そこから会員獲得、あるいはなんらかの販売に繋がれば、コミッションを取るということも可能なわけだ。

もちろん、そんなことは彼らは知らないし、興味もない。ひたすら毎月いくらかの金を客から取れれば、それでいいわけだ。なかなか楽しい人たちだと思う。

ここはアミーゴ文化だから、デジタルな世界は馴染みにくい。 友達からの紹介、あるいは友達の友達からの紹介ではないと、彼らは信用しない。

だから、よく「メキシコシティにあるおいしい日本食レストランはどこか?」と質問をされるし、いくつか提案すると、そこに実際行って感想を言ってくる。食べログぐるなびなんてものは、この国には存在しない。

ついでに言うと、長文を読むという習慣もないので、本も読まないしブログもたいして影響力はない。ブログを書いている暇があれば、パーティーにでも行って知り合いを増やしたほうがいいのかもしれない。

アミーゴ文化というと聞こえはいいが実際は、赤の他人は信用しないということだろう。他人がいかに評価しようが、それが自分が信頼する人物、つまりは実際会ったことがあり、その人たちが自分たちにとって信頼に足りる人物と思わないと、彼らの言うことを訊いてなんらかの行動を起こそうとしない。

だからといって、いつまでもこのような牧歌的な文化が続くとは思わない。Booking.comやトリップアドバイザーなどはみんな見ているし、使ってもいる。きっとちょっと検索してトップに出てくるものは見るのだろう。掘り下げて、その評価が正当かどうかまでは気にしない人たちなのだ。

日本でWEB2.0やそれこそソーシャルメディアが注目された6、7年前は「ニッチなもの」でも収益化出来るともてはやされたが、結局のところニッチなものでも大手資本が参入すれば淘汰されるという時代になってきている。

ニッチなものが成立する市場というものは、価値観が多様化した世界だ。だが、大手資本がサブリミナル広告のようにしつこく広告を打てば、なんとなくそっちのほうがよく見える可能性が高い。

民主主義と似たようなものだ。 声が大きい人の意見のほうが通りやすいし、民衆はたいていそういう人に騙される。

何だかかんだ言って、このラテンな国も日本も、最終的には金があるやつが勝つというわけだ。だが、あともう一つの可能性は、ニッチなものでも、本当に必要なものだ。例えばAIRBNBのようなサービス、またスカイプなどの生活にインフラになりうるものだ。

「なにが本当に必要か」ということは個人によって多少の差があるが、それでも例えばスカイプがなくなれば、生活にすら困る人もたくさんいるだろう。そして、各サービス分野に勝者は一人か二人しか残らないという残酷な世界でもある。

1万円で起業して、マーケティングは口コミというスタイルはアメリカなど「声が大きい人」ばかりの国では馴染むが、日本のような事を荒立てないほうを好み人たちは特に気に入った場合でも、何も言わない。そして、ラテンの国はネット上の評価はそれほど気にしないし、長文は読まないので、実際に目に見える形にしていかないといけない。

そして、そんなことをつらつらと言いながら昨日、メキシコ人の友人アビマエルともにメキシコシティのとあるバーで飲んでいたら、「ここに来れる人はメキシコ全人口の5%しかいない。一杯500円のビールを飲むくらいならば、みんなお腹が膨れるものを食べたがるから」と言っていた。メキシコの全人口1億2000万人の5%は600万人だ。

そして、そのなかで英語や日本語を学びたい人たちがどれくらいいるか・・・・・意外と非常に小さいマーケットであることに今更気付いたわけだ。

自分が普段付き合っているメキシコ人たちは、そんな人口5%に所属する人たちであり、多くの人はまだ「今日何を食べるか」ということが大きな命題なのだろう。

ラテンな発展途上国の金持ちの人たちを見ていると、自分たちの家族のあいだに富を分配することには熱心だが、国やその他大勢の人たちのために何かをしようとする気概のある人たちは極端に少ないような気がする。(それはアジアのラテン、フィリピンでも同じことが言える。中国系のフィリピン人たちが富の90%を独占していると言われている・・・・)

きっとこのような国々では起業家なんて育たないし、「お金持ち=親のすねかじり」という図式ではそれほど勤労意欲も湧いてこないだろう。世界を知れば知るほど、この世界はどんどんと不公平、不平等に向かっているように思えてくる。

ただ、だからこそソーシャルビジネスのような考え方が少しでも広まり、その不均衡を是正されればと思う。

それに別にソーシャルビジネスなんて仰々しい言い方をしなくても、アメリカやヨーロッパの多くの起業家たちは「金儲け」が起業の動機になっていない。スティーブ・ジョブズなんて給料ずっと1ドルだったし、ビル・ゲイツなんて有り金全部寄付して、自分で財団を設立して、それで至極幸せそうだ。 (「稼げば稼ぐほどハッピーになれるのは年収650万円まで、それ以上だと幸福感は収入に比例しない」というプリンストン大学大学の調査もある・・・あの頃は円高だった)

もちろん、自分のビジネスをこの人口5%というマーケットで成功させることが重要だが、最近はメキシコ人の親友アビマエルにも起業の良さを説き、こちらの世界へと引きずり込もうとしている。

人生、諦めたらおしまいだし、楽しみにためには仲間を増やしたほうがいいに決まっている。 来年が楽しみだ。