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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

気怠い日曜日とどこまでもポジティブなムッシュ・ペリネの音楽について

気怠い日曜日の午後。 特にラテンの国の日曜日は多くのレストラン、バーが閉まり、閑散としている。

よって、人通りも少なくなるので犯罪率も劇的に上がる。

そんなとある日曜日にメキシコ人の友人から「スウィングとかジャズとかミックスしたコロンビアのバンドのコンサートがあるので行かないか?」と誘われた。

全く興味が湧かなかった。 さらに300ペソ(約2600円)するという。ここメキシコシティではローカルなバンドなんて、150ペソも払えれば見れる。だから、全く行く気はなかったのだが、一応バンド名を訊いてみた。

「Monsieur Perine(ムッシュ・ペリネ)というバンドだけど」という返答が返ってきた。

「¡En serio!(マジか!)」と唸った。

3年前ほどまえにコロンビアに行った時にたまたま立ち寄った店でかかっていた音楽が気に入り、CDを買った。それがムッシュ・ペリネのデビュー作である「Hecho a Mano(エチョ・ア・マノ)」だ。

それ以来、かなりのヘビーローテーションで聴き、何人かの友人にも薦めたこともある。 その愛すべきコロンビアのバンドが見れるというので、気怠い日曜日の午後や圧倒的に高まる犯罪率をものともせずに、一目散へとライブへと出かけて行った。

最高のライブだった。

ブリットポップ全盛時にイギリスに留学していたので、オアシスやらブラーやらパルプなどをライブで見たが、別にアルバム以上の感動を覚えたことはない。アルバムで聴いていた曲を再確認するためにライブに行くようなものだった。

しかし、ムッシュ・ペリネは各曲のイントロに独自のアレンジが加え、曲自体もライブならではの臨場感溢れるものだった。やはりトロンボーン、アルトサックス、ベースなど生楽器の威力はライブでは強烈で、鳥肌モノだった。

またボーカリスのカタリーナが意外というか、かなりの美貌の持ち主で、強烈なカリスマ性を持ったボーカリストだったのも驚きだった。思えば、コロンビアで彼らのアルバムを買って以来、特に彼らのビジュアルに興味を覚えることなく、ひたすらそのアルバムを聴いていただけだった。

ライブはやはりボーカリストのカリスマ性も重要な要素であり、その点でも彼らは100点満点だった。

会場も300人程度で満員になる会場だったので、かなりの至近距離で彼らの演奏を見ることが出来た。これが東京ドームや代々木体育館だったら、ちっとも感動しなかったかもしれない。やはり会場の規模はとても重要だ。 (彼らの音楽にスタジアムは似合わないだろうし・・・・・)

ムッシュ・ペリネの圧倒的なポジティブな音楽性、そして本人たちがとことん音楽を愛し、音楽を奏でるのを愛しているのが伝わってくるライブだった。メキシコ人の友人も「前から好きだったけど、このライブのおかげでもっともっと好きになった」と言っていたのが印象的だった。

今まで多くのライブに行ったが、そんなことを思ったことは一度もない。 だが今回は今まで以上に彼らの音楽が好きになった、そんな素晴らしいライブだった。

伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」では音楽のない世界が語られるが、どんなに調和の取れた完璧な世界でも音楽のない世界には住みたくない。そんなことを思わせてくれるメキシコシティの日曜日だった。