誰もが忘れている。 いや、自分すらもう忘れていた。あの辛く長かったスペイン語を勉強していた日々のことを。
なぜあれほど取り憑かれたかのようにスペイン語の勉強をしていたのか、今となってはよく分からない。
今となってはアルゼンチンでは、「アルゼンチン生まれ?」と聞かれ、メキシコでは「スペイン語は最初から話せたの?」と言われ、全くゼロスタート、いわば「Hola!(こんにちは)」しか知らない状態でスペイン語学習を始めたことはみんなにとっては忘却の彼方だ。
「語学は才能がある人間だけが習得できる」というのは嘘だと思う。 ただひたすら努力をし続けた人だけが習得できるだけだ。スポーツや音楽を習得するのとなんら変わりがない。
よくスペイン語を全く話せないアメリカ人が「スペイン語は英語とボキャブラリーがよく似ているから、なんとなく言っていることは分かるよ」と言うが、そんなのは大嘘だ。
分かるわけがない。
中国語と日本語くらいの差はある。 (スペイン語を習得した人はイタリア語とポルトガル語はたしかになんとなく分かる。言語体系がよく似ているからだ)
言語というものは、むしろ「アー、ウー」とか言いながら一生懸命話していると、「この人、一生懸命頑張って勉強しているんだな」と思われるが、流暢に話せるようになりそれが当たり前の状態となると、誰からも尊敬も同情もされなくなる。
ただ、そのおかげで世界がもっと広がることは確かだ。 (そもそも、別に人から褒められてたくて始めたわけではなく、またそんな理由で続くわけがない)
スペイン語を話せない頃は「スペイン語を話せる自分」というものがイマイチ想像できなかったが、今となっては「スペイン語を話せない自分」が想像できない。それくらい自分自身のパーソナリティーにとって、なくてはならない大切な要素となった。
新しい言語を習得するということは、新しい人格を形成するということに他ならない。 だからやめられない。