Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

闇の脳科学について:脳はコントロールできるのか?

自己とは何かを考えさせられる本だ。

 

 本書には、「自己とは、そのときどきの脳の状態のことなのだ。脳の特定の箇所に電流を少々流すだけで、人は別の誰かになってしまう。」と書いてある。

 

そう言ってしまえば、元も子もない話だが、今となっては脳とは電気回路なのだから、それぞれの感情を司る部分を刺激すれば、その感情を流れるのは至極当然の話なのかもしれない。

 

しかし、この物語の主人公のロバート・ヒースは今から70年前に「脳深部刺激療法」を開発し、精神疾患を次々と治療した。この療法は日本でも現在ではパーキンソン病の治療などに有効なために保険適用になっているが、当時としてはタブーである「脳のコントロール」という命題に触れており、糾弾された。

 

現在では脳の研究は進んでおり、小さなデバイスを頭に刺して、感情をコントロールする研究もかなり進んでいるということだ。(アメリカの国防高等研究計画局も莫大な資金を投じて、研究に乗り出している。)

 

脳に電極を刺せば、「どれくらい幸福度を感じていたいか?」まで調整できることが明記されている。ずっと快感を感じたいばかりに廃人同然となった夫人まで登場する倒借した世界が描かれている。ただ、ロバート・ヒースは科学者、また医師として「苦しんでいる人たちを助けたい。」という純粋な気持ちで数々の実験や治療を行ったこともきちんと描かれている。

 

しかし、残念なことにその時代の精神と天才にありがちなある種傲慢な性格、また周囲の嫉妬が重なって、彼の数々の偉大な業績は闇に葬られてしまった。

 

1970年代と言えば、ミロス・フォアマンの名作「カッコーの巣の上で」が大ヒットした時代だ。そんな時代に脳に電極をぶっ刺して「脳のコントロール」をしようという実験を繰り返していたら、一般大衆から反目されるのは容易に想像できる。

 

ホモサピエンス全史、あるいは高城剛氏も度々言及しているように、「次世代の人間」の完成までもうすぐだと予想されている。それが、本書で描かれているような脳にデバイスをつけた形になるかは分からないし、高野和明が「ジェノサイド」で描いたように突然変異的な超人のような人間になるのかは分からない。

 

あるいはマトリックスで描かれたように人類は仮想空間で生活するように強制されるかもしれない。ただ、今後劇的な変化が突然やってくることだけは、本書を通じて理解出来た。

 

それまで粛々とベストを尽くして生きていくだけだ。

CS60施術時間についての見解:30分か50分か

人が持っているもので、ひとつだけ平等なものは時間だ。

誰にとっても1日は24時間であり、1年は365日だ。

 

だから、自分の時間を大切にする必要があると同時に、人の時間も大切にする必要がある。時間は有限であり、限られているからだ。

 

CS60目黒に来ていただくお客様の中には、「なぜ、所長の松岡の施術時間は30分で、他のスタッフ、あるいは他のサロンの施術時間は50分なのか?」と疑問に抱く方々が一定数いらっしゃるとは思う。

 

それは自分自身の治療家としてのポリシーとしては、「結果にコミットしているから。」に尽きる。たとえ、1分の施術時間でも結果が出れば、それでいい。実際にインドの施術会では、1人につき5分という施術時間できちんと結果を出した。

 

 また昨年、12月に開かれた本部の西村先生による無料施術会でも、5分もかからず膝痛や腰痛が改善されて、彼らは西村先生の施術を経験せずとも満足そうに帰って行った。

 

もちろん、自分の考えが絶対的に正しいとは思っていない。来ていただたお客様に2時間でも3時間でも向き合って、それなりのお金を取る施術もありだと思う。ただ、自分としてはなるべく安価に多くの人々に癒しを提供できたらと願っている。(個人的には何十回も通って治すよりは、1回あるいは数回の施術で治ればいいと思っている。だからこそ30分8000円でも高くはないと自負している。)

 

 

西村先生は普段から、「分じゃない、僕は秒で治す!」とおっしゃっているが、それは大袈裟かもしれないが、実際そのポテンシャルはあるデバイスだ。だからこそ、自分はできる限り短時間の施術を目指している。(それに通常のCS60はとにかく痛いから、なるべく早く終わったほうがお客様のためにもなる。)

 

ただ、最近は「スーパー免疫力アップコース」という1時間のコースを取るお客様も増えた。その場合、以前は通常のCS60と催眠療法を使ったリラックスCS60の療法を体験できることをウリにしていた。しかし、リピーターの方々はやはり痛くない方を選択する方々が多いので、催眠にたっぷりを時間をかけた無痛、あるいは爆睡する方も続出の究極のリラックスCS60コースとなっている。(難解なミルトン・エリクソンの本をただひたすら読み続け、毎日試行錯誤してようやくここまでのレベルに来ました。)

 

治療家として、時間ベースで仕事するのはどうかと思うが、予約の整合性を取るためにはやむ得ないと思っている。それに催眠にはある一定の時間は必要だ。(通常の30分コースでもしっかりリラックスできるのでご安心ください。)

 

以上が私の施術時間に関する見解です。よろしくお願いいたします。

東京大学の神馬先生による量子デバイスCS60についての見解。

CS60の説明をするのは、非常に難しい。

西村先生は、「現代の科学では解明できない。」からと言ってエビデンスを取るのにそれほど積極的とは言えない。(そこをなんとか頑張ってほしいのだけど、そういうところが西村先生らしいと言える。)

 

東京大学大学院医学系研究科 国際地域保健学教室の教授の神馬征峰先生のインタビューがCS60のニュースレターに掲載された。

 

www.cs60.com

 

インタビューのなかで神馬先生が、

科学はもともと限界があるものだと思っていますから。かつて、クルト・レヴィンという社会心理学者が、自分の師である哲学者エルンスト・カッシーラーからの教えを述懐しています。

 

与えられた知識の水準を越えて前進するためには・・・後になって証明されるような方法や概念を、『非科学的だ』とか『非論理的だ』などと宣告を下す方法論的なタブーをうちこわさなくてはならない」(マローA. クルト・レヴィン―その生涯と業績、誠信書房、1972、p 12)。

 

現代の科学では、CS60の作用は解明できないかもしれません。 しかし、解明できないからといって、その限界内でアヤシイといって退けるというのはどうか。 

とおっしゃっている。たしかにそのとおりだと思う。が、やはり多くの方にとってみれば、いまだに科学絶対信仰が強いので、ある程度の効果を証明しないとCS60の普及は難しいのかもしれない。

 

ただ、医療機関が満足にない国々ならば、意外とあっさり普及するのかもしれない。アフリカ諸国でWifiや電子決済があっという間に広がったように、一足飛び越えてCS60のような器具での施術が爆発的に貧しい国々で広がる可能性はある。

 

現に我々が訪れたインドの病院では、CS60による治療行為が病院の医師によって行われている。このようなことが、日本ではこのスピードで絶対に実現できない。

 

今でも忘れられないのが、インドの若い病院スタッフが右肩が全く上がらず、頼まれて10秒くらい施術したら、あっさり上がるようになったときのことだ。あのとき隣にいた若いインド人医師の驚きと賞賛といったら、なかった。

 

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(右肩が上がらなかったのは下の写真の真ん中の男性です。)

 

その彼から「マジ!すげえ!」といって握手を求められたが、このような純粋な心の持ち主が日本の医療界にどれだけいるか。西村先生も名だたる日本の大病院でCS60による施術を行ったが、結果を出せば出すほど医者には引かれたとおっしゃっていた。

 

個人的には治ればなんでもいい。薬でも催眠でもCS60でも結果が出れば、それがすべてだ。

 

問題を解決するためには、原因を解明する必要があると大勢の人が思っているが、多くの場合そうではない。意外と問題は明後日方向から解決することが多々ある。明後日方向から来たなにかが、なぜ来たのかはどうせ誰にも分からない。ただの運だったり偶然だったりするわけだ。

 

CS60も明後日方向から来たなにかなのだろう。2,3年後もしかしたら、それこそ明後日方向から来たなにかのおかげであっさりその原理が解明されるかもしれない。

 

それまで粛々と毎日ベストを尽くして生きていくのみだ。

 

 

サウナとマスクについて:コロナ禍においてどのように振舞うか。

緊急事態宣言が各県に広まる中、粛々と目黒のサロン及び武蔵小山のサロンは営業しております。5月の緊急事態宣言の時は多くの方がどうしていいか分からず、家にこもりきりとなったが、今回の国民はいたって冷静のように見える。

 

年が明けて、メキシコの友達やアルゼンチンの友達と連絡を取り合ったが、みんな元気で何よりだった。彼らの国々では完全なロックダウンを実施しているので、外出もままならないが、日本は違う。

 

graphics.reuters.com

graphics.reuters.com

2021年1月13日現在、両国ともに1日の感染者数が1万人を超えている。ただピークアウトはしているので、あと2、3ヶ月で感染者数は落ち着くだろう。そう願っている。

 

彼らの状況を考えると、日本はとても平和なように思える。国民の意識が高いので、感染予防に気をつけている・・・・それだけがこれだけの感染者数に抑えられているとは思えないが、実際のところは何がどうなっているのか誰も分からない。

 

日々の日課である銭湯通いは続けているが、サウナにマスクを着けて入る輩がいて、びっくりした。サウナかマスク、どっちかにしろとは思う。マスクをしたいのであれば、サウナは諦めるしかないはずだけど。

 

www.dir.co.jp

 

世界一長いロックダウンを実施したアルゼンチンも結局、コロナを防げなかった。

 

中途半端なロックダウンを目下実施している日本は健闘しているとは思う。コロナ自体の感染力が各国共に違うのは、人種によるものなのかコロナウイルス自体によるものなのかは分からない。

 

こういう色々な情報が錯綜する世の中では、慌てず、焦らず、なるべく自分の頭で冷静になって考えることが重要なのだろう。

 

それでは、ご機嫌よう。

全然期待していなかったディズニー&ピクサーの「ソウルフル・ワールド」がすっかり名作だった件について

名作だと思って見に行った「えんとつ町のプペル」がそうではなかった件について@個人の主観 - Keep My Word というブログを大晦日に書いたら、元旦にBLOGSに転載されて、今日の時点で16万アクセスも叩き出して戦々恐々としております。

 

あくまで争点は名作ではないと指摘しただけなのに、すっかりアンチ西野扱いとなっています。

 

自分のように映画フェチではない人に、市民ケーンやらカサブランカゴダールなど持ち出しても詮無いことで、だったら何を持って名作かという定義をどう説明しようかと思っていました。

 

そしたら、名作来ました!

 

disneyplus.disney.co.jp

 

夢を持つもの持たないもの、夢を達成したものや夢破れたもの、人生の目的もない人、あとは「ディズニーを超える!」と息巻いている人も優しく包み込んでくれるとても暖かく優しい映画です。

 

星の王子様ではないですが、「本当に大切なものは目に見えない」を体現している映画です。

 

人生の目的や夢を達成すること、あとは誰それを超える超えないなんてことは些細なことで、本当は今この一瞬一瞬が大切なんだと思わせてくれます。

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正論だけを言う「校長先生のお話」はたいていの場合、胸に響かない。

ソウルフル・ワールドでもリンカーンコペルニクスユングマザーテレサなどが「校長の先生のお話」の体現者として出てくる。だけど、どんな偉人に正しいことを言われても胸に響かないものだ。

 

なぜなら、人生は実際に体験してみないと何ひとつ分からないのだから。

 

実際に体験してみると、食べかけのビザ、チュッパチャップス、落ち葉などがとても愛おしいものに感じることができる。もちろん、他の人にとってみればガラクタでも、それらは当人にとっては大切な思い出が詰まったかけがないの宝物なのだ。

 

アメリカン・ビューティー」という大好きな映画がある。

その中で、「僕が撮影した中で一番美しいもの」として宙に舞うビニール袋の動画を見せるシーンがある。この映画のエッセンスがすべて詰まった名シーンだ。

 

ソウルフル・ワールドでもこのシーンに匹敵するようなシーンがいくつも出てくる。夢を達成しても、人生は続く。そして、どんなに夢のような楽しい日々を送っても、いつかはそれらは日常に侵されて、夢もいつかは日常に紛れ込んでしまう。

 

しかし、それでも人生は続く。

 

意味や目的などに惑わされないで、ただひたすらこの一瞬一瞬を大事に大切に生きることが重要なのだ。

 

ピクサーのピート・ドクター監督は「カールじいさんの空飛ぶ家」を監督した人だが、この作品は冒頭の20分だけ名作だと思ったが、今回の「ソウルフル・ワールド」は歴史に残る名作です。

 

いつかは映画館で絶対見たい作品です。

コロナが終息したら、ディズニーが劇場で上映してくれることを切に願っております。

名作だと思って見に行った「えんとつ町のプペル」がそうではなかった件について@個人の主観

何を隠そう私は西野亮廣氏のオンラインサロンの会員だ。(まだ半年くらいだけど。)

毎日、彼の投稿を見て色々と勉強している。だから、プペルに対して彼が並々ならぬ時間と努力をかけて作り、それを必死で売っている姿を見てきている。だからこそ、「これはもう名作に違いない!」と思い映画館に足を運んだ。

 

結果、「なんだか色々と惜しい!」(謎の上から目線。)

 

一作目でこれほどまでの映画を作るとは恐るべき人だと思う。でも、もう一回見に行きたいかというとノーだし、人に勧めたいともそれほど思わない・・・・とても残念だけど。

 

挿入歌が残念なことを割り引いても、ほかにも残念なところは多々ある。それはやはり、「言葉の量」だろう。映画とは、言葉にできないことを表現するメディアだ。その観点から言うと、言いたいことを全て言葉にしてしまっている時点で名作とは言えない。(でも、きっと2作目、3作目は名作なはず!)

 

例えば、駿先生の「千と千尋の神隠し」の電車が海を渡るシーンで、いたく感動して涙しそうになった人は多いはずだ。(自分もそのうちの一人だ。)しかし、あのシーンには色々な解釈が可能で、様々なメッセージを内包している。

 

rinrism.com

 

作者が正解を言わない限り、解釈に正解はない。だから、様々な人が自分たちなりの解釈をして、物語をもっと広げて鑑賞する。だから、人はジブリ作品を何度何度も観るのだろう。

 

えんとつ町のプペル」は解釈の余地がないほど、すべて言葉で埋め尽くされている。もう何度も何度も同じメッセージが語られ、食傷気味になるぐらいだ。

 

北野武の「HANABI」では意味をなすようなセリフはほとんどないが、最後の「ありがとう、ごめんね」で号泣してしまう人は多いはずだ。人は小難しいことを言わなくても、感動する生き物だ。いかにシンプルにいいたいことを映像で表現するか、それが映画には求められている。

 

超絶の頭のいい西野氏のことなので、2作目、3作目はきっと大傑作になるに違いない!基本、いい映画のことしか書かないのだけど、あまりに思い入れがある作品だったので、ブログに書いてしまいました、ごめんなさい。

 

あっ!

例外もある。

 

keepmyword.hatenablog.com

今、読み返してもボロクソに言っていて結構ひどい。しかも比較に出すのが、ブニュエルの映画って・・・・・

 

ただ、言えるのは映画とは自分自身が真実だと思っていることを映像化」して、「あとは観客を信頼して映像だけでいかに自分の真実を伝えるか」ということに尽きる。

 

では、皆様良いお年をお迎えください。

ジェニー先生、他界のお知らせ

2009年の創業時よりワンズワードオンラインに勤務していただいたジェニー先生が11月8日に永眠されました。

 

この動画は2020年4月に撮影したが、編集がまだ済んでない状態だったが、とりあえず先ほどそのままの状態でアップした。

 

動画を見てもらえればよく分かるが、本当によく話す先生だった。あの時はこんなに元気だったのに・・・・・

 

ただ今のとなっては、あの時にたくさん色々と話せて良かったと思う。コロナ禍でフィリピンに行くことは叶わないが、ここ日本で彼女のために祈りを捧げたい。

 

彼女との思い出はそれほど多くはないが、初めて会った時は女優かと思ったくらい美人だったので、びっくりした記憶がある。それはずっと亡くなるまで変わらなかった。

 

フィリピン人の先生だけで創業したオンラインスクールだったが、ついに在籍しているフィリピン人の先生はBelle先生のみとなった。創業した頃は毎年に行っていたフィリピンももうしばらく行っていない。コロナで当分行けそうにないが、来年規制が解除されたら彼女のお墓参りにフィリピンに行きたいと思っている。

 

ジェニー先生、安らかなご永眠をお祈りいたします。