千葉の酒々井から70歳の女性にお越しいただいたのは、今年の6月下旬。
酒々井という町は妻の生家があるところで、今でも年に何回か帰省するので、とてもゆかり深い土地だ。それに数ヶ月ほどだが実際に住んだこともある。
だから、その女性のことはよく覚えていた。
ローカルな話題をこちらから振って、話を盛り上げようとしたが、とても寡黙であまり口を利いてはくれなかった。
そもそも彼女が目黒に来たのは、弟さんの紹介だった。
彼の腰痛が初めて来た日に改善したので、それで姉であるその女性に紹介したのだった。彼女の症状はとても深刻で、目視で確認できるほどひどい両手の震えだった。お箸で食べようにも震えがひどく食べ物を落とすし、お出ししたお茶も震えがひどく飲めない有様だった。
自分自身これほどひどい両手の震えを見たのは初めてだった。一通りの施術を行ったが、目に見えての劇的な改善は見られなかった。少しがっかりした様子のその女性に「3日後に改善する事例もたくさんあるので、しばらく様子を見てください。」と伝えてお送りした。
再びかの女性が来たのは昨日のことだった。
正直、また来ていただけるとは思っていなかった。よくよく、彼女の話を聞くと、「施術をした翌日から明らかに震えが改善し、体調も良くなってとても元気になった。」とのことだった。その状態は10日間ほど続き、その間にあまりに動き回ったので膝を少し痛めたからということでお越しいただいた。
初めて来たときとは別人のように終始、明るく饒舌で、こちらからわざわざ話を振らなくてもご家族のことなどを、事細かくお話いただいた。初回は施術中はあまり効果は感じなかったが、今回はもう最初から効果を感じるということで、とても嬉しそうだった。
おそらく初回は半信半疑というか疑心暗鬼というか、全く効果を期待せず、お越しいただいたから心を閉ざされていたのだろう。それが嘘のように両手の震えが改善したので、とても気を良くしてさらなる効果を期待して今回お越しいただいた。
「奇跡的治癒とはなにか」にも記載されていたように、結局のところご本人次第だなと思った。自分たち施術者は、彼らの症状や病状を改善できるきっかけを与えることはできるが、その効果を持続させたり、さらなる改善を促せるのは彼ら自身の判断によるところが大きい。
目黒から酒々井までは電車で1時間半の道のりだ。往復にすると3時間。それでも、わざわざ行く価値があると思って、再度足を運んでいただいた。目黒から酒々井まで自分自身何度も何度も足を運んでいるから、それがいかに遠いかよくわかっている。
初回の施術の翌日、症状が改善したのは、これはたしかに自分の施術によるところだったと思う。しかし、そのあとも10日間もその効果が持続したのは、それはご自身がその効果を否定せずに、しっかりと肯定し受け入れていただいたことによるものだと思う。
変な話、自分自身の施術の効果に関してはとても懐疑的だ。結局のところ、施術者としてできるのは、よくて「回復のきっかけ」を提供できるに過ぎないと思っているから。もちろん、その場で症状が消滅したり、劇的な回復を遂げることもある。しかしながら、その効果の持続までは施術者は絶対に保証できない。
「奇跡的治癒とはなにか」に何度も描かれているように、改善すべきのは自身の日常生活であり、自分の体に対して全面的な責任を負うという決意だ。
詩的な表現をすると、「人生とは果てしない巡礼」であり、なんらかの「きっかけ」を求めてさまよい歩くものなのかもしれない。目黒でそのきっかけを与えられて、また新しい巡礼に出るものもいれば、繰り返し巡礼に訪れる方もいる。
今日も明日もこれからも、願わくばそのような「良ききっかけ」を与え続けていきたい。