Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

【パート2】生命力とはなんなのか?

健康を紐解くと「食事、運動、睡眠」からなり、自分自身、日々それらに気をつけて生活をしている。食事は基本、自炊をしており、材料も隔週で無農薬野菜を取り寄せ、運動は1日おきに体幹トレーニングをし、週1回はパーソナルトレーニングで負荷をかけている。

 

1日少なくても30分は歩くし、時によっては1時間以上歩くこともある。よって基礎代謝は1900くらいはあり、アスリート並を保っている。それに加えて、タンゴを踊ったり、その他色々と取り組んでいる。(だから、人並み以上に食べないとすぐ痩せてしまう・・・・)

 

睡眠も問題なく取れているし、今まで大病を患ったことはない。だから自分自身がいたって健康なのはよくわかるが、それとは全く逆のライフスタイルである父親の底知れない生命力とやらを目の当たりにすると、色々と考えさせられる。

 

どんなに健康的な生活を維持しても大病に罹る人もいるし、その逆も然り。そして、父親は妙に勘がよく、病院で出された薬には1つも手をつけず、コロナワクチンも打っていない。(6、7回も打っているご老人が多い中、ある意味異質だ。)

 

ただ、日々の喫煙、飲酒は欠かさないので、どうかとは思う。人間の生命力とはある種のライフメーターで、生まれ持った時に与えられた数値が以上に高い父親のような人が、生命力が高いと言えるのかも知れない。

 

だが、いかにどんなにその数値が多くても、毎日の喫煙、飲酒、運動不足では大病を患うのは自明の理だ。ただ、その後、体に触っても底知れぬ生命力を感じたので、大病すらも克服してしまうゴキブリ並の回復力も備わっている。

 

世の中、不公平だなとは思う。

 

生命力をどうやって培っていくか。

それは健康とは違うベクトルで考えると、もはやライフスタイルなどは関係なく、本人がどれだけ生きたいかと思っているかなのかも知れない。

 

父親に何かやり残したことはあるのかどうか知らないが、「生きる」ということを是としている。全面的に肯定しているからこそ、強い。

 

おそらく不安や悩みなどは特になさそうだ。

あれだけ不健康なライフスタイルで日常生活を送っていても、「まさか、この俺が癌になるとは!」と自ら驚愕していたぐらいだ。

 

そこまで来ると信念や信条という生易しいものではなく、強靭な精神となって病すら跳ね返すかも知れない。

 

生きるか、死ぬかの瀬戸際では、そのような精神の持ち主が常に勝つのだろう。宮崎駿は遺作となる作品で「君たちはどう生きるか 」と説いたが、うちの父親からしたら愚問で「ただ生きる」のみということだろう。

 

目標や目的などどうでもよく、諸行無常な世の中で特に執着することなく、ただ生きるということだろうか。

 

とか言いながらも、うちの父親、今でも元気に毎日変わりなくタバコを吸っております・・・・父つよし!

【パート1】生命力とはなんなのか?

人間とは何か、と色々と考えさせられる事件が最近身の回りでたくさん起こっている。

 

まずはうちの父親が今年3月に入院した。腸閉塞になり、また大腸に腫瘍が見つかって、手術を2回した。(結局、大腸全摘となったので朝から晩までの大手術だった。)

 

2ヶ月以上絶食して点滴だけの生活だったので、骨と皮だけのゾンビのような体になり、2回手術した直後は寝たきりとなりで手を動かすのも辛そうだった。

 

さすがにこの時ばかりは家族全員が死を覚悟した。

 

入院して何度もお見舞いに行くたびに施術をしていたが、その時もカラダナオル施術をした。すると父親の体から異常なまでの生命力を感じ、一緒にいた妻には「ここ乗り越えたら、長生きするかも。あの生命力はすごい」と伝えた。

 

すると、あれよあれよという間に回復し、1ヶ月も経たないうちに退院となった。普通の流れとしては、あれだけの大手術をしたらリハビリ病院に転院してから、退院となる。

 

しかし、父親は一人で立って歩けるぐらい回復してしまい、リハビリ病院の要件である、「自立歩行できないこと」から外れてしまう。

 

今週も両親の様子を見に行ってきた。母親も心労とストレスからかかなり弱っているので、施術しがてら買い物してカレーを作ってきた。(歳を取ると肉を食べなくなるので、牛肉、豚肉、鶏肉を入れたにくにくしいカレーをいつも作る。)

 

父親は超がつくほどのヘビースモーカーで、大酒飲みでもある。そしてこれといった趣味もなく、運動もしていない。それなのに、まだ病院に入院していて手術が終わってしばらくした頃にお見舞いに行ったら、「まさかこの俺が癌になるとはな!」とのたまった。

 

81歳になるまで癌にならなかったことが不思議なくらいの不健康な生活を送っている。

 

そして、あれだけの目にあったのに、まだタバコを吸っている。昔ながらのしっかりと煙が出る普通のタバコを吸っている。

 

世の中には健康に気を使い日々のメンテナンスを心がけ、酒もタバコもやらず、早寝早起きをしている人でも癌になって亡くなる人たちがいる。そんな人から見たら、うちの父親の存在は疎ましいのではと心配になってしまう。

 

今週行った時も父親の体に施術を施したが、やはり異常なまでの生命力を感じた。もはや生命力と健康というものは相関関係ではなく、違うベクトル上に存在するものだと思っている。

 

要はどんなに健康的な生活をしていても生命力が低ければポックリいくだろうし、父親のようにどんなに不健康な生活をしていても生命力が強ければ生き抜く。

 

では、一体生命力とはなんなのか?

次回以降から考察していきたい。

世界最古の宿:慶雲館について

ついに念願の山梨県にある西山温泉慶雲館に行ってきた。

www.keiunkan.co.jp

 

今まで何度か行こうと試みたが、タイミングが悪かったのか予約が取れず、ようやく今回はバッチリタイミングが合って1泊2日で行ってきた。

 

東京からだと約3時間の道のりだったが、そのうちの半分の時間は下道となり、さらには南アルプス街道という山道を延々と車を走らせることになる。

 

ただ、その甲斐はあって、素晴らしい温泉宿だった。

6つも温泉があり、それぞれ泉温も異なり、熱いお湯もあれば、ぬるま湯もあり、貸切温泉も無料で入れる。

 

料理も程よい量で、とても上品な味付けだった。時々、とんでもない量を出す旅館があるが、慶雲館はそんなこともなく、非常に満足度が高い。

 

(上記は朝食だが、種類は多いが、どれも一口サイズなので、食べ切れる量だった。)

 

世界最古の温泉宿としてギネスに認定されているらしいが、宿泊客にとって、そんなことはどうでもいい。あくまで泉質、お部屋、サービス、料理で評価されるべきだが、どれをとっても非の打ち所がない温泉宿だった。

 

リピート確実だろう。

 

今まで数多くの温泉宿に宿泊してきたが、2回以上宿泊したのは稀だ。日本中に素晴らしい温泉宿がたくさんあるから、それもそれで仕方がないことではあるが、やはり常宿は持っておきたいものだ。

 

慶雲館はその候補の筆頭となった。ただ本当の山道を車で走破することになるので、冬季は厳しいだろう。やはりここは冬にも気軽に行ける温泉宿を探したいところだ。

 

源泉掛け流しの温泉は素晴らしいし、また飲泉可能というものすごい。それに車で行って車のキーを預かって、駐車してくれるのは生まれて初めて受けたサービスだ。

(かってはもっとあった気がするが・・・・今ではリスクしかないサービスだとは思う。)

 

まさに至れり尽くせりのサービスだった。ちなみに外国人がやたらと多く、宿の人に聞いたら、その日の送迎バスの乗客15人中13人が外国人とのことだった。

 

どこぞのユーチューバーにも紹介されて有名になったらしいが、むしろネットがない時代にどうやって集客していたのか気にはなる。

 

1300年も生き残ってくれて、先代の方々に感謝でいっぱいだ。

 

あと1300年も続いたら、その頃世の中はどのように発展していっているのだろうか?そんなことに思いを馳せながら、豊かな時間を過ごした。

小網神社について:強運厄除け

小網神社に行ってきました。

そもそも友人S氏に誘われて、初めて知った神社でしたが、ご利益がすごいらしい。

 

everydayevents.hatenablog.com

 

S氏は予約開始日に電話をかけること1120回!

そして、ようやく予約できた大変貴重な予約枠をいただけるとのことで、もちろん行って参りました。気落ちしている妻もなんとか説得して、3人でご祈祷へと。

 

そもそも1120回も電話かけるとは!

そして、タイミング的には完璧かと。もはやどん底まで落ちてしまった我が家族は、ここから這い上がるしかないタイミング。

 

これから起こる全て良きごとは小網神社のおかげでしょう!

強運、厄除けに最高の効果を発揮するらしい。

(まあ、ぶっちゃけ、これからどんな幸運に見舞われようとも、それとこゆきちゃんの死が交換できるのであれば、喜んで交換しますが・・・・)

 

まずは腹ごしらえと、S氏推薦のうなぎ竹屋で腹ごしらえをして、いざ小網神社へと行ってきました。

 

tabelog.com

 

予約時間になり、そしてご祈祷してもらいました。

こんな都会のど真ん中にあり、ビルの狭間にある神社がこれほどまでに人気を獲得するとは驚きです。

 

昨日の今日なので、何も特に変化は感じられませんが、なんとなく強運になった気がするぜ!(たぶん・・・・)

 

これからこのブログは、どのような強運に見舞われたかの発表会の様相になるかと確信しております!

とある美しい土曜日の出来事について

こんな日でも、青空はとても美しく、夕日はどこまでも美しい。

6歳になる姪っ子のチイちゃんのご所望で、僕たちは「だるまさんごっこ」に興じた。

その日、妻は千葉の実家に昼過ぎには帰ってきており、それからずっと「だるまさんごっこ」をやっていたらしい。

 

仕事を終えて、車で妻の実家に帰って来たのは、すでに17時半過ぎだった。だが、またしても「だるまさんごっこ」をやりたくなったチイちゃんは、僕という新戦力を得て、お義母さんと次女のゆづきちゃんを加えて、4人で「だるまさんごっこ」をやった。

 

そして、後から妻が合流した。

結局、5人で「だるまさんごっこ」をやった。誰もが何も考えたくなかったし、どうしようもない悲しみを忘れるために、ただひたすら遊びに興じた。

 

チイちゃんが鬼になったので、彼女をびっくりさせるために全速力で走って、タッチしようとした。そしたら、なぜかお義母さんの笑いのツボに入ってしまい、それこそ文字通り腹を抱えて笑っていた。

 

日がすっかり暮れる前に家に入り、チイちゃんとゆづきちゃんのパパとママである、つよぽんとかおちゃんが帰って来たので挨拶をした。掛ける言葉は見つからなかったが、どうでもいいような世間話をするしかない。

 

そしたら、チイちゃんがウノをやりたいと言い出した。今度は義理の姉夫婦であるともちゃんと大ちゃん、それにお義父さんも最終的に加わり、盛大なウノが始まった。

 

その場にいた家族全員が参加したウノだ。

そして、その場にいた誰もが和室に横たわっている16歳のこゆきちゃんの不在を意識していた。もちろん、そのことに関して決して口を出さないようにした。

 

何事もなかったかのようにひたすらウノに興じた。なぜか奇跡的に6歳のチイちゃんが一番に上がった。

 

それに調子に乗った彼女は2回目をやりたがった。だから、ママであるかおちゃんが「皆様、大変申し訳ございませんが、もう1回チイちゃんのためにウノをやっていただけないでしょうか?」と畏って頼まれたら、もちろん僕たちはやらざるを得ない。

 

みんな笑顔でウノに興じた。

人はどうしようない深い悲しみにある最中では、一生懸命笑おうとするのだなと思った。他の人が笑っているのを見ると、ちょっと安心した。特にこゆきちゃんの両親であるつよぽんとかおちゃんが笑っているところを見ると、とても安心した。

 

その場にいた全員が6歳のチイちゃんに救われた。

彼女の存在だけが、このとてつもない悲しい時間と空間の希望だった。

 

10年前、こゆきちゃんがチイちゃんと同じ6歳だった時、妻と彼女と3人で実家の周りを散歩した。後にも先にも3人だけでどこか行ったのは、これが最初で最後だった。

 

毎年、お正月はみんなで集まって、それがずっと続くのが当たり前だと思っていた。

 

その中の誰かがかける日が来るなんて、想像していなかった。まさか自分よりはるかに年下のこゆきちゃんが真っ先にいなくなるなんて、誰が想像し得ただろう。

 

誰も彼女に何があったのか本当には理解できないし、自分たちに出来たであろう「たられば」に一生悩まされ続けるだろう。それは普段から身近な存在である家族、友人たちならなおさらだ。ご両親や、ご家族の気持ちはもはや想像できないレベルだ。

 

こゆきちゃん、心よりご冥福をお祈りします。

でも、天国にいったら1回ぐらいは説教させてね!こんなにも理不尽なばかりの多くの悲しみを大勢の人にさせた罰だから・・・・

身長182cmの世界へようこそ。

先月の研修会では「思いがけず利他」という本をベースに研修会を行なった。その本の中に、ヒンディー語には与格構文というものが存在し、それについての言及がとても面白かった。

 

ヒンディー語では「私はあなたを愛している」という言い方ではなく、「私にあなたに対する愛がやってきて、留まっている。」という表現を取る。

 

www.mishimaga.com

(詳しくは上記を参照してください。)

 

前置きが長くなったが、チューリッヒのタンゴフェスティバルで、イギリス人のカミーラさんと、スイス人のオイサさんと知り合った。(右がカミーラさん、左がナイジェリア人のハーフのオイサさん。)

 

カミーラさんと初めて踊った時、「このフェスティバルに来てくれてありがとう!」と言われた。彼女たち二人とも身長182cmあり、7cmのヒールと合わせると189cmとなる。身長192cmの自分と踊ると、ちょうどいい釣り合いだった。

 

カミーラさんは学生時代に社交ダンスをして、コンペにも頻繁に参加しており、その体幹は素晴らしい。オイサさんも流石にアフリカンにルーツを持つだけあって、体幹もリズム感もヨーロッパ人とは一線を画している。フェスティバルが進むにつれて、だんだんとこのお二人と踊ればいいかと思うようになったぐらい、タンゴが上手かった。

 

利他の話に戻ろう。

カミーラさん曰く、「あなたがこのフェスティバルに来てくれたことによって、私はあなたと一緒にタンゴを踊ることができた。だからまず、あなたがこのチューリッヒまでタンゴを踊りに来てくれたことに感謝する。」というニュアンスで感謝された。

 

ちなみにカミーラさんはケンブリッジ大学で物理学専攻で博士号を取り、さらにヘッジファンドに入社し、今では大学の研究者をしている才媛だ。なのに限りなく利他に近い表現で感謝するという・・・・聖人か!

 

今までこのような形でタンゴを踊って人に感謝されたことはなかったので、とても不思議な気持ちになった。そして、カミーラさんは曲が終わるたびに「ワンダフル!」「アメージング」と完璧なブリティッシュアクセントで褒めてくれるので、気分もアゲアゲになってますます踊りにも身が入る。

 

片やオイサさんは完璧な主格の人で、対照的なお二人で面白かった。

フェスティバルの最終日は、カミーラさんは一緒に来ていたお姉さんと共にフランスに旅立ち、ミロンガには来れなかった。当初、オイサさんも来ないと言っていた。でも、「今日来ないの?来なよ。」と誘ったら、来てくれることにはなった。

 

15時スタートで19時半までのアフタヌーンミロンガだ。疲れていたので16時過ぎぐらいに行ったら、オイサさんは17時ぐらいに到着した。そして何回か一緒に踊って、18時半になったくらいに「私はあなたともう一回踊ったら帰る」と言って、終わりを待たずに帰っていった。

 

終わりまでもう1時間なんだから、そこはもうちょい頑張れよと心の中で突っ込んだが、致し方がない。

 

要は、「私は元々行く気がなかったけど、あなたと踊ることはしばらくないだろうから来たけど、他に踊りたい人もいないし、疲れているしもう帰る。」という感じだろう。

 

滞在時間1時間半・・・・ある意味、はっきりしていて潔し。

 

(記念にスリーショット!ちなみにお二人同士は知り合いではなかったけど、同じ182cmの人がいるからと言って紹介した。背の高い女性あるあるを二人で共有していて面白かった。)

 

しかし、タンゴで初めて自分と身長が釣り合う人たちと踊って、ある意味センセーショナルな驚きがあった。自分の姿勢ときちんと保とうせずとも、身長がこれだけ合うと姿勢も自ずと綺麗にまとまる。

 

タンゴ道もまだまだ深いなと思ったチューリッヒの日々だった。

一杯のフォーが4000円のチューリヒにて思う。

昨日は気持ちのいい天気だったので、泊まっている宿から歩いてチューリッヒ湖畔まで歩いて行った。だいたい30分ばかりの距離だ。

チューリッヒの人口は40万人なので、日本でいうと岐阜市や富山市とほぼ変わらない。やはりどこか田舎だと感じてしまうのも無理はないかもしれない。(決して、悪いことではないが。)

街には歴史的な建造物が溢れ、トボトボと歩くだけでそのような建造物にぶち当たる。

ちょうど昼食時で美味しそうなフォーを出すベトナム料理屋を見つけたので看板を見て、驚いた。

ベトナムのフォーが23.5フランなので日本円にすると、4000円!

スイスに来るまではせいぜい日本の物価の倍くらいだろうと思っていたが、4倍だった!ちょうど、渡航の前日に銀座アスターに妻と二人で行ってホリデーランチをしたが、それが5000円だった。

妻が、「この前菜のプレードだけでスイスだったら、5000円ぐらいするんじゃない?」といって二人で笑いあったが、笑い話ではなく本当の話となってしまった。

100人中100人がスイスで4000円のベトナムのフォーを食べるよりは、5000円払って銀座アスターのホリデーランチを選ぶだろう。もはや、想像を絶する世界だ、フォーが4000円とは凄まじい。

 

円安に関しては、日本という国の価値が下がっているからととやかく言われるが、きっとそんな話ではない。どこか恣意的で、明らかに間違っている。

 

ただ、現在、円安という事実は如何ともし難い事実ではある。そこを考慮し、黙々と今日もカレーを食べた・・・・これから毎日カレーを食べる日々が続くかもしれない。

 

日本の1000円がスイスでは4分の1の価値しかないと思うと、もはやできる限りスイスでは節約して、日本で散財した方が幸福度が上がるのではと思ってしまう。

 

そのようなことを抜きにすれば、チューリッヒという街自体はとても素敵なところではある。円高になった時に、来ることをオススメしますが。

 

2年間住んだスコットランドの首都エディンバラに少し似ているところがあるかもしれない。これを契機にまたヨーロッパ各地を転々とするのもいいのかもしれない・・・・いち早く円高に振れることを祈るばかりだ。