1946年に出版されたナチスの強制収容所経験に基づいた「夜と霧」を読んだ。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」 ニーチェ
文中にはニーチェの言葉が引用されるが、この本はすべてこの言葉に集約される。生き抜くこと自体に意義を見出だせないと、収容所の絶望の日々は生き抜くこともできない。
コロナが始まって以来、多かれ少なかれ抑圧され、ある意味我々は巨大な収容所に入っているようだ。自由、はすでに高価で庶民の手が届かないところにある。
それでも生きる意味は当然あるし、終わりも見えないなか、毎日を生き抜く必要もある。もうけっして以前の生活に戻ることはないかもしれない。
それでも前に進むしかないのだろう。
全員が一致団結する必要もないだろうし、かと言って悲観する必要もない。各々が自分自身の人生に少しでも意義を見出だせば、この時間はあっという間に過ぎ去っていく。子育てや仕事や、趣味や夢や希望、なんでも人生の道具にすればいい。
今、この瞬間にも殺される可能性が高かったナチスの収容所に比べれば、ここは天国には違いない。それでも漠然と「いつ解放されるのだろうか?」という不安はずっと付きまとう。
ただ思うのは人間を人間足らしめているのは環境や才能、遺伝ではなく、「人としてどうありたいか」と至極単純な事実だ。困っている人たちには親身になって面倒を見て、自分の不遇を嘆かず、謙虚に生きていく・・・・それができれば一人前の人間なのだろうなと思った。
人間、1人前の人間になるのは一苦労ではある。
そんなことをひとしきり思った真夏の読書だった。