小夜子お姉ちゃんが亡くなった。
小夜子お姉ちゃんというのは、うちの母親の小学校からの友人で、子供の頃から何度も顔を合わせている女性だ。母親と同級生なので77歳になる。
母親の同級生の友達は何故か「〇〇お姉ちゃん」と呼ばれ、他にも「ゆかりお姉ちゃん」「みきお姉ちゃん」などいたが、最後まで母親と交流があったのは、「小夜子お姉ちゃん」だけだった。
母親は東京の永福町で育ったが、結婚を機に京都の嵐山へと引っ越した。だが、ずっと東京に戻りたいと思っていた母親は、事あるごとに東京へと帰省した。年に4、5回は行っていただろうか。そして、そのたびに自分の友人と会っていたので、小夜子お姉ちゃんとも子供の頃は、年に4、5回会っていたことになる。
普通の親は友人との会合にまだ幼稚園や小学生の子供を連れて行かないが、うちの母親は100%の確率で連れて行った。
同級生の小出くんが高田馬場でバーをしていたので、そこで仲のいい友人たちが集まって、ちょっとしたパーティーを何回かしたこともある。
ちなみに小出くんはアル中のオカマで、子供心に強烈な記憶が残っている。その会には小学校の低学年くらいまでは開催されていただろうから、逆算するとみんな30代半ばとなる。今の自分より全然若いことに愕然とする。
小夜子お姉ちゃんはCS60を始めた頃にも来てくれて、施術をしたこともある。あとで母親に「あんな痛いのだったら、病気の方がマシ!」と言っていたらしい。
小夜子お姉ちゃんの息子さんのダイちゃんの結婚式にもカメラマンとして参加した。まだ20代半ばの頃だったかと思う。
ちなみに母親と小夜子お姉ちゃんは他の友達と共にガールズバンドを高校卒業後に結成して、それで意気投合して仲良くなったとのことだ。ギターをうちの祖母と一緒に買いに行った時に「どうせなら、こっちにしなさい!」とアコースティックギターではなく、エレキギターを買ってもらったらしい。
ハイカラなばあさんだった。
年を取ると、人の死によく遭遇するようになる。それは自然の摂理だから、仕方がないことだ。今年は周りからも多くの死を聞くこととなった。巷で言われているようにワクチンの影響もあるかもしれないが、どちらかと言うと病院のシステムが問題のような気がする。
年を取って病院に行くと、やたらと手術を勧められて、それで体力が奪われて、結局命の火が消えることに繋がる。うちの父親も2回も大手術をさせられ、2回目に至っては全く不必要なものだったがことが後から判明した。
病院といってもビジネスはビジネスなので、お金を稼ぎたい気持ちはわかるが、老人たちの体を切り刻んでお金を儲けるのはなんだかなとは思う。
西洋医療を否定するつもりもないし、悪意のある医者がそれほど多いとも思わない。ただひたすら病院を作り過ぎて、それらを維持するために仕方なく手術を行うそのシステム全体が限界を迎えているのだろう。
自分が行なっているような代替医療もあるにはあるが、まだ一般的ではないし、広がるにはもう少し時間がかかるだろう。
この世からいなくなった人たちは、我々の記憶の中には生き続ける。フラッシュバックのようにまだ小学生だった自分の映像と、その頃の小夜子お姉ちゃんが思い浮かぶ。やはり一番頻繁に会っていた頃の記憶の方が、最近の記憶よりも濃厚だ。
会いたくもない相手とこれからはなるべく会わないようにし、会いたい人とはこれからもずっとなるべく頻繁に会った方がいいなと思った。
人の死は、我々に色々と人生について考えさせる機会とはなり得るが、それほど頻繁には遭遇したくはないのが本音だろう。
小夜子お姉ちゃん、色々と楽しい思い出をありがとう。安らかにお眠りください。